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「誰にも負けない努力」

今年もあと1か月で終わります

今月12月25日でホロ社創立満25年、四半世紀が経過します

当時私は弱冠31歳の社長だったわけですが、思い返すと稚拙な感性、勿論経営者としてのスキル、知識、経験など皆無なわけですから、いわゆる会社としての体裁を成していなかったのだと思います

それでも会社を起業して10年存続している確率(国税庁の数字統計)は6.3%、20年で0.39%と言われているそうなのでそういった意味では四半世紀続いていることそのものが感慨深いものがあります

とりあえず社長という肩書はかれこれ25年になりますが、経営者としての私はどうだったのだろうか・・・と考えることが多いです

日本には350万社超の会社があり、つまりそれだけの数の社長が居るわけですが、それってほぼ総人口の30人に1人もの割合で存在している(これは部長や課長の数より多い)わけなので、果たして、その人達が「経営者」といわれるような役割や機能を果たしているのか・・・というと決してそんなことはありません

つまり「社長=経営者」ではない、前者は「(単なる)肩書」で、後者は「(社会に必要とされる)役割」なのだと思います

私事でいえば、31歳の頃は若手経営者と言われたりもしましたが、今56歳になった私は、初心を持っていたとしても歴や齢だけでいえばベテランです

その間、個人的にも会社的にもどんな成長や進歩や進化を興せたのだろうか…

このテーマを追いかけ続けて、これまでも多くの経営者の先達から学びを受けてきました

そのひとりが、京セラ創業者の稲盛和夫さんです

直接お目にかかったことはありませんが、著書ないしは学びの機会においてたくさんの言葉、行動から触発されたことが多かったです

経営哲学、ないしは語録に書かれていることは極めてシンプル・・・そのシンプルさゆえに、かつては、何か「当たり前過ぎて」物足りないと感じていたころがありました

・事業の目的、意義を明確にする

・具体的な目標を立てる

・強烈な願望を心に抱く

・誰にも負けない努力をする

・・・・・・

こんな調子です

しかし、最近になって、そのシンプルな言葉に籠った深みを自分なりに捉えられるようになってきたように思います

稲盛氏がJALの経営再生にあたったのはまだ記憶に新しいですが、それまで京セラやKDDIを創業した経営の神様と言われていても、門外漢でもある航空業界、そしてエリート集団と言われた大企業の破綻を立て直すためには並々ならぬ背景があったに違いありません

ある著書で、JAL着任早々に幹部達を集めた会議冒頭でこんなやり取りがあったことを読みました

稲盛「人間として何が正しいかで判断すればいい、そうすれば間違いないはずだ」

幹部「稲盛会長、それは当たり前の話ではありませんか!?、私達JALにしても常々正しいことをしているという認識で判断してきたのでしたから・・・会長は私達が正しくないことをしているという認識で判断してきたと疑っているいらっしゃるのですか?」

と皮肉とも嫌味ともつかない言葉で反論してきたそうです

そこで稲盛氏の側近がたまりかねて開き直ったような幹部職員を前にしてこう問うたそうです

「約束を守るということは人間として正しいことですが、皆さんはそれを出来ていましたか?

JALの皆さんは経営計画という約束を守れなかったのではありませんか?人間として正しいこと、約束を守るということが出来ていなかったからこそJALは倒産したのではないですか?」

そこで稲盛氏が静かにこう語っていったそうです

「自分が正しいと思ったからといって正しいと判断してはならない・・・誰が正しいかでなく、誰が見ても正しいというものがあるではないか、それが人間として正しいことなのではないのか?

例えば、2人の人間が議論していて、自分が正しいと思って主張する、相手は相手で正しいと思って主張する、これでは本当の正しい結果が出るわけがない、

自分が正しいとか、相手が正しいとかでなく、何が正しいのかを考えなくてはならないのだ!

普遍的に正しいもの、誰がみても正しいものを考えなくてはならない、それはきっとあるはずだ」

ただ、やはり人間として正しいことが出来ていなかったからJALは倒産したのではないか?JALは政府や金融機関と大事な約束をしたにも関わらずその約束さえ守れなかった、つまり人間として普遍的に正しい、約束を守るということさえできなかった、それが倒産の原因ではないか、JALの幹部が誰もがそのことに真摯に受け止めて反省することが再生のスタートだ」

こんなシンプルで、わかりやすい理屈の入った言葉にとても痺れました

ここに「誰か」を入れてはいけない(比較してはいけない)

まさに「誰もが」・・・これが出来たら世の中に戦争や競争などの争いごとはなくなっていく、それこそビジネスであっても差別化、戦略、商戦・・・などなど競争の連続であるわけですから、その渦中にあって「誰もが正しい」を追求することは途方もなく難しい追求であり、際限がないのかもしれません

しかしそれを求めていくのが真理、そして普遍的なテーマなのだと思います

まさにそれが経営の本質なのではないかと思うようになってきました

「誰にも負けない努力」

これも同様です、ここに「誰か」との比較は意味を成しません

誰にも負けない努力とは、誰という対象がない、まさに自分との戦いに他なりません、

自分のやれることは全てやり切ったのか?、もうダメなのか?

時に、稲盛さんは「経営者は従業員からしてそこまで働いて可哀そうだ!・・・だったら我々も・・・と言われるところまでやっているのか!」までやるのが経営者だと厳しい言葉を発しています

そこに対象物(人)はありません!

とかく、人と、そして何かと比べてしまう人の性・・・それを超越していくのが実業の世界における経営者に必要とされる資質なのではないかと思います

「人として」という源流を追い求めていく(深堀っていくということでしょうか)

それがひいては、世のため、人のためになる、当然それが叶えば、事業も会社も永続的に続くのではないでしょうか

ホロ社はあと5年で30年・・・30年の会社の生き残り率は0.025%だそうです

つまり40000社中に1社・・・そんな比較もそもそもナンセンスですがひとつのモノサシとして「誰にも負けない」「誰もが正しい」を追いかけていきたいと思います