Company企業情報

Monthly reportマンスリーレポート

「平和な戦争」

今月は、4年に1度の世界の祭典!オリンピックパリ五輪が開催されていました

かつて、アメリカとメダル争いが拮抗していたロシアが五輪に参加していない、イスラエルの参加が非難されたり、世界各国の戦争、ないしは緊張関係など世界の政治経済情勢によって左右されるオリンピックのありかたですが、競技を見ていてもある種の戦争のようです・・・が、しかし、それはルールに順守された極めて平和的な戦いであることを実感します

「平和の反対語は戦争」と子供の頃に教わりましたのでこの表題にある「平和な戦争」というのは言葉的には矛盾するわけですが、競技する選手が凌ぎを削る姿を見ていると、見ている側も自国の誇りを持って応援、なんなら一緒に戦っている心境になるのは私だけでもないと思います、しかしそれは平和的(というか健全)です

一方、勢力争いからくる国家間の対立は、昨今の情勢からも、時を経てもなくなることがないことも実感します・・・

オリンピックの開催や、そもそもの存在意義が、無秩序な国家間の勢力抗争によって薄れたり、なくなったりするとすればそれは悲しいことです。

だからこそこの「平和な戦争」が、秩序を超えた争いの抑止力になっていくことを願ってやみません

いくつもある競技の中で個人的に印象深かった競技の一つが「ブレイキン」

全くルールも、評点基準もわからないのですが、DJの流す音楽にあわせて即興で対戦相手と同じステージで交互に踊りだす・・・競技というより演舞

そして踊り終えた後に、対戦相手に「どうだ!」とばかりにアピールし、そして相手の次の演技をスマートに促し、そのリズムに一緒に合わせながらそれを眺める(次に備えているのかな・・・)シーンは共演しているようにも見えます

この戦っているけど調和されている感がなんとも「平和的」・・・そして審査員の評価で勝負を決するわけですが、負けた方は勝った相手を笑顔で称え、勝った方は負けた方を労う・・・お互いが高めあって競技が成り立っているので勝った負けたのギスギスした感が全くない、何か「平和的な戦い」の象徴的な競技(演舞)だと思いました

さて、この五輪で戦う勇姿達は、日本人に限らず肉体的に一番隆々としている20代が多いわけです

日本ではその世代はZ世代などと言われ、その特徴は「保守的」「助け合いを好む」「承認欲求が強い」「コスパ、タイパ志向」・・・などなど概ね受動的な性質がある傾向になると言われているようですが、少なくてもオリンピックの選手達にそのような趣を感じることはありません

一見、東京五輪に次いで2度目の金メダルを獲得したスケボーの堀米雄斗選手なんかはインタヴューや表情見ても、感情の抑揚も感じられず、淡々と、なんか緩さを感じるわけですが、しかし何気に「死ぬ気でやってきます!」「ここまで地獄の3年間だった・・・」みたいな発言をしていました

他のメダルを獲得した選手を見ても、同じような印象を持つ人が多い

また、勝っても「〇〇のおかげで」「皆さんのために」

負けたら「応援してくれた皆さんに申し訳ない」「これまで支えてくれた〇〇さん・・・」といった何か利他的な発言が多いのも印象的でした

勝っても負けても、最後は握手や抱き合ってお互いを称えあうシーンは昔からよく見る傾向ではありますが、それが平和的とされる源泉かもしれません

このような戦いを見ていると、決して今の若者にハングリーさがなくなってきた・・・などとは全く思えません

ファイティングスピリッツに溢れている、それに励みや勇気をもらう我々・・・という構図は古今東西一緒なのだと思います

日本に限っていえば、1964年と2021年の東京五輪、1970年と来年2025年の大阪万博がありました(あります)が、半世紀前のケースは敗戦から立ち直って、高度経済成長の真っ只中にいる姿を世界に見せるべく、追いつけ追い越せマインドで日本中がクソ意地?を発揮したと思われますが、2021年、そして開催前の万博ではそんな気運はあまり感じません

もっと言えば時代の移り変わりもあり「なにくそ!」マインドはもはやない・・・ように感じられます

だからとはいえ、その「なにくそ族?」が滅亡したとはパリオリンピックの日本選手を見て到底思えないのです

経済成長による時代の流れの中、物質的豊かさを掴んできたプロセスで、希望の幻想を持つ世代(かつて)とそうでない世代(今=一定満たされたZ世代主流的)と分かれてきたかもしれませんが、何か個人的に感じるのは、「地球や未来に希望を見出す、探す、ないしは,すがる世代」から、「地球や未来の希望を自ら切り拓いていく意志を持つ世代」の世代交代が進んでいるのではないかと思います

違いは、前者は「願望!的」(やや利己的)で後者は「志!的」(やや利他的)です

そして、ビジネスも平和な戦争だと思います

かつては競合他社というものが存在し(今もいますが💦)、規模やシェアなどの量的拡大の文脈で優位性を獲得していく勢力競争が主体で、経済力を上げていくことで自ら(自分、自社、自国)を豊かにしていくことの志向が強かった・・・国家間の無秩序戦争もそんな要素があるのではないでしょうか・・・そこからくる弊害が多いのは当然のことです

しかし、今や企業の競争優位性、いわゆる競争力の源泉はむしろ「競争嫌い」にあるのではないでしょうか

すなわち他社と激しく競っているのだが独自性へのこだわり、市場に「ないもの」を作り上げていく姿勢に向かっている企業こそが強い・・・ユニクロしかり、セブンイレブン、私たちの業界でいえば星野リゾートなど

実際、量的拡大に対して、質的転換をしなやかに遂行している企業が強くなっている

商品開発でも店づくりでも、他と違う独自のものをつくっていけば競争に巻き込まれることはない

ホロ社でも常々,思い、言い聞かせていることです

近年、スポーツも新たな競技が出てきているように、ビジネスも同様、価値の基準も多様化し、秀出ているたったひとつの価値観だけが全てではなくなってきているのだと思います。

つまり「相手をやっつける」だけが能ではありません、オンリーワンの存在感になること

そのためには戦う相手は、自分自身・・・自分自身にハングリーであれば、相手をやっつける・・・のでなく、自分自身との戦い・・・試行錯誤を続けながら、戦わない(で済む)商品やサービスを編み出していく、だから称えられる

だから、オンリーワンを目指すことは、「競争嫌い」が根源にあるような気がします・・・

それは誰と戦っているのかというと、自分の意志!、そしてその意志に共感をしてくれている人と共に、未来を切り拓くために戦う・・・戦う当事者はその共感者の使命や想いをも背負って戦う

そこに凌ぎを削ることが「平和な戦争」そして持続的社会を目指していく上で必要な戦いではないでしょうか?

オリンピックを見ながら自らのビジネスと重ねて感じたことでした