「やることがないのに退屈じゃない」
今年の夏も酷暑です!
私が幼少期の記憶では8月でも30度を超えたら暑い!という時代だったと思いますが、もはやそんなことはありません
私たちの業界においてはこの時期は行楽地に向けて「避暑地」へ逃避行するものだと思いきやむしろ暑すぎて💦シーズンオフの様相にもなっていきています
観光やレジャーないしはビジネス利用などを目的として宿泊する手段が「ホテル」
ですから、駅前駅近や繁華街にホテルが多く、レジャー施設(海や温泉やスキー場、観光名所など)の周辺に数多く点在するわけです
セトレは、今でこそ奈良、長崎などは観光エリアに位置していますが、そもそもホテル適地でない場所に展開していました、ゆえに宿泊という手段(機能)に留まらず、コンセプトの肝に「過ごしの時間・空間を充実する」があります
つまり、都市でもない、観光立地でもない、、都市近郊の居住地域といったエリアですので何か施さないと宿泊する人などいないわけです
だから、私たちの存在意義、そして事業継続性の要諦は「泊まる理由のない人にどう泊まってもらうか」そこに腐心してきた会社です
すなわち、「目的型ホテル」・・・そこに滞在することが目的になるホテル
オーベルジュという業態がありますが、それはその食事を食べるために泊まる・・・
それはホテルというより「泊まれるレストラン」というわけです
先日、梅小路POTELに滞在してくださったゲストの方がnoteに書いてくださった内容が私にはとても共感、というかとても嬉しく思いました
https://note.com/kouyatakahashi/n/nfa5bc9fd43c9
そこで書かれていた一文「やることがないけど退屈じゃない」
このような過ごしこそセトレやPOTELで目指していた体感です
それを、この1センテンスで表現してくださっています!
やることがない・・・それは目的を明確にした旅行や滞在ではないということ
退屈じゃない、それは過ごしの充実感があるということ
決して極上や至上でないかもしれないけど、緩い満足感…の表現
ココロとカラダをリセットする・・・それが「SETRE」(Re・SETをひっくり返した造語)
ぽ~とするとPORT(≒港 人が行き交う結節点)を掛け合わせたホテルの造語である「POTEL」
まさにふわっとした、ぼんやりした動機で来てみたら、何か出会いや気づき、発見があった、
(退屈じゃない)なんかよかった…そんな声が多いのがセトレです
滞在することに価値があるホテル・・・まさにこの一文で説明が出来てしまうわけです
ハードスペックや立地というものが競争優位性最上位とされるのがホテルの定説ですが、そのアンチテーゼとしてコンテンツを軸の真ん中に置いてきました
セトレもPOTELも過ごしの空間(コンテンツ)として共有ラウンジを設けています
客室だけでなく、ホテルをひとつの「館」と見立てる
おうちに例えると客室は寝室、ラウンジはリビングルーム、レストランはダイニングルーム・・・にとらえ館全体を1LDKのおうちのように過ごしてもらうことで、スペックを凌駕する発想です
ラウンジには、フリーフローのドリンクが並ぶだけでなく、本やボードゲーム、ハンドドリップの珈琲などアナログに溢れたものが並んでいます
セトレ(やPOTEL)は部屋のスペックはあまり意味を持ちません。
滞在の重心が、最初から部屋の外の館内に置かれているからです。
共有スペースであるリビングラウンジの体感をこのように書いてくださっています
本、レコード、ボードゲーム、木の玩具──すべて、速度の遅いメディアなのです。
本はスクロールできない。レコードは頭出しが面倒で、A面が終わるまで付き合うことになる。ボードゲームは相手の手番を待つ。スマホが最短距離で情報を運ぶ道具だとすれば、ここに置かれているのは、ぜんぶ回り道の道具です。
「やることがないのに、退屈じゃない」という滞在の感覚は、ここから来ていました。退屈とは、速い刺激に慣れた身体が、速い刺激を絶たれたときの禁断症状です。この宿は刺激を絶つのではなく、遅い愉しみに差し替えることで、退屈を回避している。ぽーっとする、という状態に、ちゃんと器が与えられている。
まさに感じて欲しいことそのまま表現してくださっているのでした
「羽を伸ばす」のでなく「骨を休める」
便利でないものが便利な道具に溢れる現代の日々生活にとって日常と少し違う…
ホテルは「非日常」の空間として捉えている人も多いですが、私たちは「異日常」
それはここでいう「暮らす側に錨(いかり)をおろす」
私はここで気づきました
コンテンツには力を注いできましたが、それも気づかぬうちに追随されるようになってます
「よりベターへ」をこぞって競うようになるのです
あっちがこうしたからうちはこうしよう、そちらよりこちら、以前はこうだったからこれからは
こう・・・みたいな
これではいつまで経ってもいたちごっこになるだけです
改めて大事なことは「いかに違うか」
それは目に見えない、無形な空気感、感覚…いわば世界観!
「コンテンツからコンテクストへ」
それはまさに文脈(ストーリー)
その人にとってそこで過ごす意味はそれぞれです、
私の世界・・・それは、(誰かや何かというような)よりベターという比較はあまり意味をなしません・・・
やることがないけど退屈じゃない・・・
セトレにとって(POTELにとっても)それは最高の評価なのではないかと思います
そういえば・・・ですが
POTELは開発の段階で銭湯をつくりました、、
それは大浴場ではないのです(スペック的には大浴場ですが・・・)
銭湯なのです、コンテンツ的には、銭湯絵が描かれ、番台があってそこに人がいて、仕切りのない水場があって、モザイク模様のタイル、、、昭和な演出がなされているのです
ですが、コンテクストでいえば、湯から上って外に出てみるとそこに横丁があってふらっと一杯飲める店がある・・・
ホテル滞在者だけの占有ではない、ちゃんとした横丁です!だから、周辺に住む住人の人も来る・・・そこで宿泊者と住人との対話が生まれる(かもしれない)
そんな意味(物語、世界)を込めていました
そしてこう表現してくださっていました
「夜は、別棟の「ぽて湯」へ。令和のホテルが、わざわざ銭湯を新築するという酔狂!!」
酔狂って・・・酔い狂っているよ君たち!!と言われているわけですね!
企画した私たちにとって、この上ない賞賛の言葉!!とも言えます
やはりホロ社はこんな言葉を引き出せる「企画編集会社」でありたいと改めて思いました
そしてやっぱり「ホテルを通じて地域資源を企画編集する会社」であることを追求していくことがホロニックの存在意義だと再認識しました