なくなったら困ると切望される会社
会社を設立して経営を始めて四半世紀以上が経ちます
当時も、また今も「よい会社」を目指してやってきました(今もやっています)
果たして「よい会社」とは何か?、その定義も自分なりに追及し続けています
よい会社とは、大手企業、高収益企業、上場企業、社員を大切にする企業、カリスマリーダーが牽引する会社、(就職などの)人気企業、ガバナンスが効いている企業
最近では「健康優良法人」といわれる対象をつくって認定する制度なども出来ています
それはどうも「ホワイト」かどうかが基準のようでもあります
健康というのは果たしてそのような意味なのか?ホワイトって何?とか・・・定義がひとつでもなく、色々な人の色々な目線や概念が、その時代ごとに新たなに加わって(ないしは消えて)いって、結局「よい」が混沌としているように思います
私自身も、よい会社は?と聞かれたときに(自社のことは棚にあげて)、やはり無意識にも、上記に掲げたような(規模や収益の)大小・(コンプラ、ガバナンスの)善悪・(財務体質などの)強弱といった目に見える指標で「良い」を図ったりしています
しかし、とどのつまり、私が思うのは本当に良い会社と言われるのは「なくなったら困る」
換言すると「潰れたら困る会社」
困るのは誰か?というと・・・それは社会とか世間・・・いわば「民(衆)」
そのような人たちに圧倒的に支持されていたらなくなる(つぶれる)ことはないのだと思います
「なくなる(つぶれる)と困る」と切望されることです
明治5年に創業した京都の手造り茶筒の会社「開化堂」https://www.kaikado.jp/japanese/
熟練の職人が手作業で生み出す茶筒は、高い気密性と、使うほどに手に馴染んで色や風合いが美しく変化する経年変化が魅力で、世界中から愛されている・・・とされています
茶筒の老舗と言われてもピンとこない、ないしは、(茶)筒の価値がなんぼのものか想像がつきにくいのが便利な世の中に済む普通の現代の生活者の感覚ではないでしょうか?
高度経済成長期の時期にあらゆるものが機械化され、「手作りなんて古い」という価値観が支配的になった際、大変な手間隙をかけて作製される伝統的な茶筒には強い逆風が吹き、経営的に非常に苦しい状況に陥ったそうなのですが、その際に京都のお茶屋さんたちから「お前のとこは余計なことは考えず、ひたすら良いものを作っておれ、ワシのところが買うから」といって買い続けてくれたおかげで開化堂は存続できたそうです
「頼むからつぶさないでくれ」という得意先、購買者からの声で同社は存続されたとのこと
これは開化堂のような茶筒会社だけではないと思います
開化堂は大きな会社ではありません、また時代の流れに沿った(むしろ逆💦)商材を製造していたり、販売しているわけでもない、無茶苦茶利益が出ている会社もでもない(と思います・・・)
ただ、機械化、IT化、AI・・・といった進化する時代においても「手(造り)」にこだわり続けてきた会社
こだわりを継承し、時代の変化に屈しない、一方、時代の流れに柔軟であった、いわゆる二刀流を匠みに奮い続けられている結果なのではないでしょうか?
こだわりは固執と違います、固執では変化の激しい時空を超えていくことはできないでしょう
柔軟性は迎合(ないしは譲歩や妥協)とは違います、日和見主義では変化する事象に対等に向き合うことなども出来ません
ウサギとカメの寓話は誰もが知る話ですが、なぜカメがどう比べても足の速さで優れるウサギに勝てたのでしょうか?
それは、ウサギはカメを見ていた(そのため自分より鈍いカメに油断して途中寝入ってしまった)
カメはゴールを見ていた・・・つまり到達点に対してブレなくひたすら地道に向かっていった
ここでいう到達点は、消費者(の嗜好や志向)と言ってもいいかもしれません
ウサギは目先戦う相手ばかりを見ていて向き合う相手を見誤っていたというわけです
向き合う相手(消費者≒民や世間)の志向は時代によって変わっていきますし、とかくうつろいやすい、心理的なものです
これからの勝利条件は、「何かに勝つ」ではなく「社会を読み解く洞察力」という発想を起点にする。
社会や世間(消費者)・・・そこに寄り添いながら、その先の本当のニーズをつかむ、読む、その奥行きを追求する、そのための行動をブレることなく続けることにこだわり続けられる会社
それこそが「よい会社」なのではないかと私は思うのです
ファンを創ることは勿論大事ですが、そもそもファンに支えられるにはどうあるべきなのかを考える
そもそも「ファンをつくりたい、囲い込みたい」とするのはこちらのエゴです、
あちら(消費者、お客さん、ファン予備軍?)の人は誰も「囲い込まれたい」と思っていません
それは「何をするか」(DO)・・・営業力やブランディング、広告力などのいわゆるフィジカルな力を駆使するのでなく「どうあるべきか(BE)」という行動や判断、社会への姿勢が問われるのではないでしょうか?
こちらとあちらの垣根がなくなった時にそれが「ファン」が育まれる芽になっているのだと思います
さて、ホロニックの話・・・
この会社がつぶれたら、誰が困るでしょうか?
逆に言えば、なくなったら困るのは誰か、ホロ社がなくなって困ってしまう社会って?
「なくて困ってしまう会社(≒事業)」、果たして私たちはそのような視点で考えているだろうか?
ホテルは不要不急と言われる事業です、コンサルティングで提供しているものもノウハウと言われる、極めて曖昧な目に見えない知的情報業です
モノ余りの国内において物販事業は「いかに欲しい」を探り出していくまさに競争激化のレッドオーシャン市場
そんな主戦場にいて、なくなったら困る人っているのでしょうか?
もう少し掘り下げていくと、会社を「あなた(自分)」に置き換えてみてもいい
そんな問い立て、それを問い続けています
そのために「応援される会社、応援される私(あなた)、いなくなったら困る会社、自分、あなた・・・」
そんなかけがえのない会社(私)を目指し、追求していきたいと・・・
とどのつまり、最後(最初も)は、倫理観を追及して頑張る姿勢、ひたむきさが大事なのではないでしょうか?
そのために理念を磨き続けるのが経営者である私の役割なのだと思っています