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マンスリーレポート

2015年06月

「壁と鏡」

日本には700万社の会社があると言われています。労働人口が約6000万人ということですので、働いている人の内、8.5人に1人は社長ということになります!

「石を投げれば社長にあたる」くらいの確率です。

社長にも色々居ますが、これだけ居るわけですから、いわゆる「なりたければなれる役職」ということです。

起業するには資格は要りませんし、おカネという資本がなくても、人材が居なくてもいわゆる「社長」になることが出来るという現実がありま。

もっと言えば「部長」や「課長」は選ばれなければなれませんが「社長」は自らなることが出来る・・・・そういった意味では「もっともなれやすい役職」とも言えます。

しかし、一方で起業して1年で60%は消滅すると言われています。5年経てば85%と言われています。

つまり起業して社長になるための壁は低いですが、なり続けていくことの壁は果てしなく高い、ということになります。

すなわち「社長」ないしは「人の上に立つ」「自由に組織を動かす」「好きな仕事だけをしたい」という願望を持つ人は多いけど、それを続けていくことはほとんど出来ないということです。

社会で生存をかけて生き残っていくことは容易ではありません。とりわけこの上記の「願望」を持つ人であれば尚更のことです。

「願望を持つ」「夢を抱く」ことは簡単ですが、それを実現するための行動に対しては、「覚悟」や「志」、そして「半端ない強い願望」そしてそのための誰にも負けない努力が不可欠だということを「経営」は教えてくれます。

戦争は国と国との戦いですが、この負けは「死」を意味します。つまり「撃ち殺される」わけです。

経営も一緒で、それは厳しい生存競争を生き残るための社会の中で戦い続けなければいけません。

しかし、その多くが撃ち落されているというのが現実です。

多く撃ち落されている人(元経営者)の多くは、結果的に「覚悟」や「志」が不足していたことに他なりません。(それ以外に説明しようがありません)

「夢や願望」と「理念や志」とは次元が違います!この違いが1年ないしは5年(もちろん10年、30年先も同様ですが・・・)のこの結果の違いに表れているのだと思います。

「夢や願望」は自分に向けたものです。自分中心的な発想です。利己的です。

しかし「理念や志」は社会に向けたものです。社会の中の自分、そこでどう使命感を持っていくかという発想です。利他的です。

自らがたてた理念や志をどう体現していくか、どう周囲に浸透させていくか、またその描く「理念やビジョン」に常に磨きをかけていく行為こそが経営なのではないかと思うわけです。

ホロ社も創業し、経営し、かれこれ16年が経過しています。

創業して1年で60% 5年で85%消滅すると言われる中ではなかなか善戦(そもそも善戦するために起業したわけでも戦っているわけでもありませんが・・・・)しているのではないかと思うのですが、

そのためには日々修練しかないのだという事は実感します。

そういった意味で日々「壁」だらけです。

以前、学園モノのドラマの再放送をいくつか見ていて感じたことがありました。

学園モノのドラマと言えば、主人公の先生と、幾人かのそれぞれの背景(というか課題や問題)を持った生徒とが共にそれを解決していくという話しに終始しているのは昔も今もあまり変わっていないワンパターンですが、

それでも社会的課題を反映していることや、またある意味経営に対して示唆するとこもたくさんあることからして、私も今の歳になってもある意味新鮮に楽しめるところがあります。

そんな中のひとつで出てきた言葉に「魔法の言葉」というのがありました。

それはなにか!!というと・・・

「しょうがない!」という言葉です。

その前段には「みんながそうだから・・・」「社会がそうなっているから・・・」という前置き言葉があります。

この言葉を使う時はほぼ100%、「壁」が目の前にあるときです。

しかしこの魔法の言葉を使えば使うほど、志や覚悟を削ぎ、本来持ち合わせていた夢や願望を少しずつ減らしていき、やがて儚さや絶望に近づけていくことになります。

かくいう私も知らず知らずにこの「魔法の言葉」を発しているように自覚するわけです。

そのドラマでは、この「壁」は実は「鏡」なのだと先生は生徒へ伝えていました。

「壁」は「溝」でもあり、また「敵」でもあるわけです。今の自身に相対している事象(ないしは事物)ですから克服するべくものです。

しかしそこから逃げることも出来るわけです!その時に使う言葉がこの「魔法の言葉」なのだと思います。

この先生曰く「壁=鏡」なわけですから、結局この論で行けば、どこから逃げるのかというとそれは「自分」ということになります。

言い訳しようと、他(人)に矢印を向けようと、自己正当化しようと、それは全て意識的か無意識に関係なく「魔法の言葉」で片付けようとしているに過ぎません。そしてその矛先は結局、自分に振り向けられています。

しかし逆に言えば、自分が思い描く分だけ、それは可能性に帯びたものであることも間違いありません。

北海道にある「植松電機」といういわゆる町工場の中小企業があります。

そこでは町工場でありながら「ロケットの製造」にチャレンジしているそうです。

町工場にそんな大それたことが出来るのかと言われると、この経営者曰く「この世の中にあるもっとも酷い言葉は“どうせ無理!」だということで、この大それたことをやっている理由は「その言葉(=どうせ無理!)を世の中からなくすこと」なのだそうです。

そんな志を立てている会社の方針は「稼働率を下げる、なるべく売らない、なるべくつくらない」だそうです。

製造業、いわゆるメーカですから工場での仕事の稼働が下がれば自ずと商売は成り立たない…と思われますが、この会社では、「なるべく売らない」と決めた理由はこんなことでした。

製品が優れているけど販売が得意でないことから、販売を代理してくれる、いわゆる商社や問屋に任せたそうです。

そうしたら、二次代理店、三次代理店などが次々登場し、結局売りたい金額で消費者に届かなくなっただけでなく、故障やクレームが出た時に、原因がわからない上に、最終直接接点のない消費者から怒鳴りつけられ、呼びつけられ、タダで修理させられるような事態になったようです。

これは何か変だと思って、直接声の聴ける相手だけに販売チャネルを変えたら、そんな事態がなくなっただけでなく、値引きとか無理強いをされなくなったら結果利益率が上がった・・・だからなるべく売らない、言い換えると、自分達の自信のある製品をきちんとつくって、それをわかる人にしか売らないようにしたこと。

なづべくつくらないようにしたら、在庫やそれにかかる場所などのコストがかからなくなった。

在庫を持たないので、値引きを強要する人に売る必要がなくなった、そして売り込む営業をする必要もなくなった、結果コストがあらゆるコスト(手間含め)が下がった・・と

稼働率を上げようとすると「たくさん売らないといけない」ようになります。

ホテルでもレストランでも宴会場でも一緒です。

「どうやった稼働率を上げるか」を考えています!するとエージェントや営業をする、それに伴って人材も必要になりますし、販促費用もかかります。

しかし「勝手に稼働があがっちゃう、けど、それをどう抑制するか・・・。」という発想が重要なのだと思います。

「なるべく売らない」「なるべくつくらない」は「欲しいものを生み出す行動・思考」に他なりません

ここにはものすごい,信念や理念、確固たる想いが必要です。

半端ない強い願望や志・・・・それを持ち合わるためには常に「壁」にぶつかるわけです。

つまりそれは鏡という自分との戦いで、自分に問い続けることです。

話戻りますが、先ほどの学園モノのドラマの中で生徒が「受験に必要のない科目を勉強する必要があるのか、それは将来何に役に立つのか!?」と言う問いかけがあります。

ちなみに・・・私も思うのですが、私の中学生の子どももいわゆる勉強を一生懸命やっていますが、その問題たるもの、今の私に解けないものがたくさんあります。多分試験をやったら負けるでしょう。

だったら社会で立派に生きていくために、学校の勉強は必要あるのかということです。

先生は言いました。「勉強は旅みたいなものだ。」と・・・・

「旅に出るときに、どこに何があって、どんなことが出来て・・・など知ったことばかりのところへ行って楽しいか・・・というかそれを求めているか?? 旅って言うのはなにかの発見、今まで知らなかったこと、体験したことにないことを発見できるかもしれないからワクワクするんじゃないのか・・・」と・・・

勉強もそれと一緒で、99%が意味のないことでも残り1%の発見があるからこそ意味がある・・・またその1%の気づきは99%のムダと思える努力があってよくやく見つけられるものがある。

学生に限らず、社会人になっても常にそういった意味で「勉強」は大事です。

今の仕事で、いわゆる経営は数字が大事と言われますが、その「数字」は決して「数学」ではありません。

因数分解の知識など必要ありません!足し算、引き算、掛け算、割り算・・・そう!「算数」レベルの知識で充分です。

漢文や古文などの知識は今、経営していてその必要性は感じません。

世界史や地理にしても・・・です。

しかし、ある時にその昔学習したことが、なにかとなにかがつながって、「活かせるコト」になってることも決して少なくありません。

なので「勉強」は自身の土台を広く、そして厚くするために必要なことなのだと思います。

換言すると、「壁」を乗り越える上で大変重要な「自己研鑽」に他ならないのだと思います。知らないことを知ることは大事です。

「知らないから出来ない」「やったことがないから出来ない」とよく口にしてしまいます。

しかし、よく考えてみればそもそも人間誰しも「知らないこと」と「やったことがないこと」としか出会わないのです。

そして誰しもそこをクリアして、今知っていること、やったこととして知識や経験として蓄積されて人間形成されているのだと思います。

だから「知らなければ調べればいい」し「やったことがなければやればいい」

知らないことを知ったかぶりし、やったことないことをやらずに放置しておくことで益々「壁」が高くなる・・・・・そんな原理原則的なことを頭に入っていれば、まさに「壁=鏡」の法則を頭に入れた上で勉強という研鑽を続けていくことが大事なのだと思います。

そしてその勉強によって、夢や願望を抱き、またそれを超えて自分の信念、理念や志を磨いていく、磨き続けることで「壁=鏡」を超えていくのだと思います。