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マンスリーレポート

2010年09月

「キーワードは“共に”」

 

かつて30年ほど前の日本、高度経済成長時代の日本は今の中国とよく比較をされます。
まさに毎年2桁成長の勢い、それは物価の上昇→賃金(所得)の上昇→人件費の上昇という循環です。
中国の富裕層たちが日本にやってくる頻度や量が激増しているというニュースは誰もが目にし、耳にしていることかと思います。
また中国は日本の人口の10倍も居るわけですから、いくら田舎で貧困層が多いと言われ、確かに富裕層の率は低いといわれておりますが、我々から見るとそれでも数としてはとてつもなく多いわけです。
このようなこれから人が増える国の成長と、既に飽食の時代、モノ充足を超えてモノ溢れた状態の日本とでは勢いは歴然としています。
もちろん中国だけに留まらずBRICS(ブラジル・ロシア・インド・チャイナ)の各国もこれから成長していく国です
これらのたった4国でも合わせると世界全国土の30%、人口は40%も居る・・・にもかかわらず、経済規模としてはまだまだ数%ですからそのポテンシャルは何をか言わんかです。
そういった意味で今これらの国は国民が「共に」経済成長を遂げるために一丸になっている、そんな“国勢”を感じます。
さて一方、かつての日本、
それこそ今のBRICS各国のように、かつては「充足された社会」でなかった、それがゆえに「共に」がキーワードだったのだと思います。
1960年代の学生運動もそうでしょうし、映画「3丁目の夕日」に出てくるような近所の人達がテレビのある家に集まって肩寄せ合って力道山の空手チョップを見て興奮したり、1970年大阪万博では何と7000万人という日本の人口の当時おそらくほとんどがそのイベントのために大阪に来たことになる現象は想像を超えます
それだけ、国の成長と人々とが”共に“生きてきた証拠かもしれません。
しかし、90年代頃、バブル経済崩壊後からその成長神話は崩れ「共に」ではなく「個性化」の社会がやってきました。
個人の時代はまさに自由主義、アメリカ的社会ともいえるかもしれません。
まさに「みんな一緒」から「それぞれ自分」がキーワードになって来ました。
ホロニック社もそんな時代の1999年に誕生しました
社名からも個人を重視した発想に基づいています。
個人と組織の有機的結合、独立した個人が調和してよい組織をつくる
そんな組織集団が、これからの組織に最適であることを強く思って始まりました。
しかし、この個性化、個人主義的発想の行き過ぎが、一方で様々な社会問題も引き起こしてきて
いる世の中であることを私に限らず多くに人が感じてきているのではないでしょうか?
「正解がひとつ」ではなくなった、神話が神話でなくなった今、それぞれの人がそれぞれの答えを探していかなくてはいけない時代です。
しかしそんな時代だからこそ、もしかして改めてそして再びこれからの時代、「共に」がキーワードになってくるのではないかと思っています。
政治の世界でも「挙党体勢」を声高に挙がっておりましたが、本来今必要なのは「挙国体勢」・・にも関わらずやっていることは「挙人体勢」です(民主党総裁選戦線を眺めてみて・・・)
私たちのビジネスの世界に目を転じてみましょう
モノやサービスを売る者にとってお客様と対峙するのは当然ではあります
“売るために”、または“買ってもらうため”には、お客様のためには・・・・といった「ため」のオンパレードです。
これだけ豊かな社会になり、必ずしも必要なモノは充たされ、欲しいモノは溢れかえっています。
ましてや情報化社会です、いつでもどこでも何でも情報を得ることが出来ます。
売りつけられようとするものならば、一瞬にしてその商品やサーヒスが嘘か真か調べ上げられます。
そんな中で私たちはどうしていけばよいのでしょうか?
「~のために」は何か犠牲を強い、「減私奉公」(めっしほうこう)の精神が思い起こされます
どこか受動的なこの概念だけではお客様との関係、もっといえば人と人との関係や絆が強くなっていくのは難しいのではないかと感じます
しかしながらこの「~のため」を否定するとそれこそ、サービス業の否定、自己満足!に偏るような心象を与えます。
私たちサービス業における言葉の由来は「サーバント」、いわゆる「奴隷」です
奴隷はご主人さまのために労働します
その概念、機能からの歴史があるために、とくにこの「~のため」、「お客様のために」が主語になることが“聖なる語”として取り扱われています。
しかしながらあえて言いますとホロ社は「コミュニティ創り」を主体とする企業、またこの成熟された社会にこそ必要とされるであろう「人と人との繫がりや絆」を創り、繋ぎ合わせようとするのであれば「~のために」でなく「~と共に」なのではないかと思うのです。
サッカー日本代表がワールドカップで活躍しましたが、それを応援する人たちは「ファン」ではなく「サポーター」と呼ばれています。
それはまさに選手達と繋がっているのです。
今ブレイク中のアイドルAKB48も「アイドルtoファン」ではありません、または「アイドルfor ファン」ではありません
「アイドルwithファン」、一体化されています。
「for」ではなく「with」
サービス業、特にホテルという業態はかつて「不要不急産業」と言われていました。
贅沢な業として、戦後の復旧期には限られた富裕者層だけの業
だからそこに携わる従業員は「召使」、そこに対等な関係が育まれるわけもありません。
それはまだまだ日本が豊かになる前の時代です
しかし豊かさを実感できる頃から徐々にホテル業は“業”として成長してきました
その物質的豊かさを多くの人が享受されてきた今、そしてこれから、求められる豊かさは何なのでしょうか?
これまでのような召し使い的サービスを喜んでやっている場合ではないのではないでしょうか?(この概念の名残が、いまだ「お客様に喜んでもらうには、お客様と同じ体験、体感をしなくては何が喜んでもらえるかわからない!というそもそものホスピタリティ精神が育まれない・・・・お客様はご主人様で私たちは召使という格差に安住する精神が“働く側”に残っているような気がします」)
そういった意味で受動的、義務的な領域を超えていかなければ本当の意味での「お客様満足」を実現していくことは出来ないのではないかと思います。
「お客様のために」から「お客様とともに」
当然それを担う社員や株主、取引先様など
「社員のために」<「社員と共に」
「株主のために」<「株主と共に」
「取引先のために」<「取引先と共に」
共に働き、共に創り、共には育む
かつての「共に」の時代を経て「個性化」の時代になり、そして今またかつての「共に」とは違う「共に」の時代を迎えようとしているのではないでしょうか?
かつての「共に」は、自分の生活、自分たちの将来のための「共に」でした
これからの「共に」はもっと大局的な「よりよい社会」「健全なる社会」を実現していくプロセスとしての「共に」という次元のような気がします。
これからの社会、これまでの「個性化の時代」から「無縁化の時代」になる(なった!)とも言われています
孤独死や自殺者の増加、はたまた幼児虐待や大人子供問わずのいじめの問題などが、陰湿というかジメッとした社会問題として取り扱われています
人同士の関係が希薄でも生きていける時代ゆえの問題かもしれません
そういった意味ではそれは豊かさの代償なのかもしれません
貧困国ではおそらくこのような問題は少ないと思います
なぜならそんな余裕がないから・・・・
その豊かな国、日本
それゆえにコミュニティが渇望されています
「コミュニティの再生」が社会的問題解決につながっているような気がします
そんな時代の中の大きな担い手としてホロニックは立っていたいと思っています!