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マンスリーレポート

2010年02月

「考えるということ」

 

私にとって下記のコラムは大変衝撃的なものでした
これは「人とつながる表現教室」という、進研ゼミの赤ペン先生だった山田ズーニーさんという方が書いた本の中で紹介されている一節です
書いた方は、ある学校の教師の方だそうです
感じていることを言葉にする勇気
“考えているけど言葉に出来ない“という生徒も居ます
でも、それは考えているのでなく、感じているだけなのですよ
感じていることを言葉にすることが考えることです
ところが彼ら、彼女が感じていることを言葉に出来ないのは勇気がないからなのです。
言葉にすると、誰かに評価されてしまう、それが自分に返ってくるのが怖いのです
“傷つくのが怖い“というのが、彼、彼女らの根本思想です
傷つかないように、傷つかないように自分で自分を守るがためにどんどん不自由になって、かえって人を平気で傷つけたり、コミュニケーションがとれません
結果何一つ得るものがないのです
・ 言葉に出来ない
・ コミュニケーションが取れない
・ 考えない
この悪循環の中で子供達はもがきもせずに、努力もせずに、ただ「不快な思い」だけ募らせています
これは子供達だけの話しだけではなさそうです。
私も含め多くの人が、色々な話を聞き、色々なものを見て、色々なことに触れたりして何かを感じながら生きているわけですが、それを感じて「言葉にする」または「行動する」という風にカタチに変えていくことを100%きちんとやっている人は稀なのではないでしょうか?
大概が「そう思っているんだけど。。。(で・・それで動いてる?)」「そんな感じなんだけど。。。(で・・それきちんと伝えている?)」といった感じではないでしょうか?
「感じていることを言葉にすることが“考えている”ということ」
私の中ではこれは“名言”でした。
感じることは誰でも出来る、しかも無意識に何かを感じる、いくらKYの人であっても何かを感じていることは確かです・・・いわゆるKYの人は「空気が読めないとか空気を感じない人」なのではなくて、それを言葉に出来ない人なのかもしれません。
よく徒弟制度の名残がある、例えば板場の世界(板場だけではありませんが・・)などでは“教
える”という概念がなく「オレの背中を見て学べ、オレもそうしてきた!」的な世界が美談のように扱われていることを目や耳にしたりすることがありますが、まさにそれは、その親方なり師匠が崇高な信念に基づいていそうしている・・・というよりはむしろ“感覚を言葉にすること”を怠っていることの方が多いことに気付きます。
確かに長年、カラダに自然に身について覚えた感覚というものは大変貴重です
しかし果たしてそんな貴重な感覚やそれを持ち合わせた人(だけど言葉に出来ない人)ばかりでよいと言ってしまってよいのでしょうか?
想像してみてください、上記で言う“板場の親父さん”みたいな人ばかりが世に蔓延したら世の中から「言葉」や「会話」はなくなります。
まあいずれにしても「感覚知」を正当化し過大評価して、それを「形式知」にすることを怠ってしまう人は私含めて多いことは確かです。
とかく私たちのようなサービス業、接客業においては、お客さんの要望やニーズはその時その時によって変わるし、従ってその対応も瞬時に表情見て、感じてその場の判断でもてなすことが大事!・・・・だからマニュアルなんてつくれない!という方が多い、もっと言うと「マニュアルのないサービスこそが善!」という具合に美徳のようにしてしまう方が多いです。
が一方で、マニュアルでもルールでも何でもいいのですが、いずれにしても何かしらのある一定の基準、標準がないと「サービスにムラ」が出てお客様に逆に迷惑や不安を与えてしまうということは考えられていますでしょうか?
そう、だから、お客様の要望やニーズや気分や機嫌に合わせて対応するその感覚を「コトバ化」する
感じていることを言葉にすること・・・これは確かに結構難しいと思います(感じます)
と同時にとても大事なことだと思うのです。
難しい・・・だから「考える」ことが尊いです
難しいことを避けようとすると「考えない」のです。
でも「考えない」、つまり「言葉にならない」と相手に伝わらない
これも現実です
言葉にならない自分に苛立ち、そして諦め、結果「考えない」、そしてやがてその「考えない自分」を正当化し相手に矢印を向けるようなる、そんな悪循環が巻き起こされます
私は大人になって、というより社長になってから、つまり「同じ同志を集い、そして同じ夢や目標に向かうようになってもらう人との関わりが必要かつ重要な状態」になってからようやく「言葉にすること」の大事さが少しずつわかってきました
それまでは結構上記にある「板場のオヤッさん」のような思想でした(オレの背中を見ろ!などという程自信家ではありませんでしたが)
言葉にするということは「声を出して話すこと」や「文章など文字にすること」
社長になると必然的にそれを修練する場が増えることは確かです
ましてや利害関係者が増える、それはすなわち取り扱い規模、収入が増える、つまり企業規模が
大きくなればなるだけその機会が増えていきました。
新しい事業や新しい取り組みをする場合でも、何かひらめいたり、感じたりしても、それを言葉にしなければ何も伝わりません、何も伝わらないと何も始まりません
それが少しずつわかってきたような気がします
「守・破・離」という言葉があります
600年も前に能楽を確立した世阿弥の言葉だそうです
簡単に言うと・・
守,型を守り型を覚える。 破,型を破り試行錯誤する。 離,型から離れ新しく型自体を作る。
今の時代、個性化などという風潮を都合よく捉えて「型にはまる」「型を覚える」ことを「型にとらわれすぎてはダメ」という概念で正当化する傾向にあります。
しかし基本に忠実になること、まずどんなことでも「基本」が大事であるということはいつの時代でもそれこそ“基本”なのだと思います。
私たちのようなビジネス、人との関わりが前提で成り立つ業種・・・お客様との対話、取引先との交渉、当然社員間などの連携のためのコミュニケーション
いずれにしても「人対人」
そこに「言葉」は欠かせません。
「コトバ」こそが私たちの仕事における基本、「守・破・離」でいう「守」ではないでしょうか
だからこそ「感じていることを言葉にする修練」は本当に大事なのだと強く思っています。
サービス業はまさに文字通り「サーバント」から語源が来るようにこれまで「お客様の言うことを聞いていればよい」という召使的、御用聞き的な役割で居ることが大事とされていたような気がします。
しかし本来は「サービス業」という「業」だけに、やはりお客様と対等に対話できる力、コミュニケーションできる力、そう「言葉にする力」、もっと言えば「感じたことを言葉にして伝える力」がもっともっと求められる、これからはそんな時代です。
すなわち「考えること」が出来る力のある人材こそがサービス業では大変貴重で不可欠な資質になることは間違いないことでしょう。
 
長田 一郎