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マンスリーレポート

2008年08月

「地上最強の商人」

 

私がホロニック社を起業する一年前に一年かけて読んだのが表題のタイトルの本です。
なぜ本一冊読むのに一年かかったのかというと、この本の構成や読み方がそうだから・・
といってもしっくり来ないでしょうが、要は10項目ほどの文章があり、一項目(8ページくらい)から30日間、毎日3回ずつ読み、それが達成できたら2項目目へ進むという指示?がされているからです。
まあ本ですからもちろんその通りにやらないからといってどんなことが書いてあるかは手にとってページを開けば分かるわけですが、ミソはその10項目のショートストーリー(コラム)は、それこそ「地上最強の商人」になるための秘訣が書かれているわけで、要はそれを毎日3回、それを30日(つまり90回)同じフレーズを読み続けることに価値があるということです。
何かお経を唱えるような宗教っぽい話に聞こえるかもしれませんが、純粋な当時の私は知人の勧めもあってそれを遂行しました。
遂行するに至った理由は、自分が強いビジネスマン、また企業家になりたいという強い意志があり、それを実現するための最良の書と聞き、またその書の薦めが上記のようなことで、かつまたこの本の監修に、あの京セラ創業者でカリスマ経営者の稲盛和夫氏であったことも理由だったかもしれません。
その1日3回30日間、それを10項目やるに当たり、何度かこんな言葉の紹介がありました。
「もし、成功しようとする決意がかたければ、失敗で挫けてしまうことは決してない」
この何度も出てくる言葉に私はすっかり洗脳?されてしまったような記憶があります。
そんなこんなで、約一年かかる自主プロジェクト?が開始されたわけですが、それに先立って、これが遂行されたあかつきには、その時点での自分の有姿をあらかじめ具体的にイメージして書き込んでおくことをしました(というかそのような薦めが設定されていました)
それが
1年後の私の仕事は「 」
1年後の私の収入は「 」
非常にわかりやすい設定ではありますが、この時書いた年収は、その始めた当初の1.5倍以上。驚いたことに一年後それが実現いたしました。
この自主プロジェクトを遂行したから、もしくは完遂したからそれが実現できたかどうかと聞かれると・・・それはよくわかりません。
しかしその時強く感じたことは、「実現したいことは自らが設定すること」が大事なことなのだということ。
「○○したい」「○○なれば」と願望を言っているうちは、つまり成り行きでは実現したいことは手に入らないのだろうということは確信に近いほど強烈に実感しました。
どんなことが書かれているかというと・・・・
『成功とはどんな意味なのでしょうか?」と尋ねられれば、おそららく1000通りの答えが返ってくるでしょう、しかし失敗に関しては、その定義はただひとつ、すなわち“失敗とは、それが何であれ、その目的の地に到達できていないことをいう”のだから
そして成功者と失敗者の間にある、たった唯一の違いとは・・
「習慣の違い」 』
だということです。
負け癖のついている人やチームは、負けても「悔しい気持ち」が希薄です。
二言目には「仕方ないな今日は・・」で済ます傾向があります。
私の高校時代所属して野球部はまさに、その負け癖に蔓延したチームでした。
甲子園に行きたいという気持ちはありました、がそのためのプロセスを一切踏んでいませんでした、やがて目標設定は下がり私の最終年度の目標は“県予選一回戦突破”でした。
しかもそれすら実現出来ませんでした。
そして悔し涙すら出ませんでした。
私にとっては不完全燃焼な高校の部活動生活でした。
今の自分はその頃の反面教師になっているところがあるかもしれません。
話はずれましたが、この「癖」が「習慣」
そしてこの書の習慣についての法則が
「私はよい習慣をつくり、自らその奴隷となる」と
「習慣の奴隷」とは・・・激しい言葉です
習慣とは継続されていることです、
そしてその「継続する」ことこそが最も難しい行動習慣のような気がします。
しかし、自ら良いと信じた行動を習慣として続けていくこと、翻って考えると、成功者はそれを確実にやっています。
偶然、突発的に活躍する、経営者、スポーツ選手やヒーロー(ヒロイン)などもいますが、彼らは決して長続きしていません。
この書の第三項で「私は成功するまで頑張り続ける」という言葉が何度も綴られています。
例えばこんな感じです、原文のまま
「私は成功するまで頑張り続ける、
私は試みる、何回も何回も試みる・・それぞれの障害物は私の目標への単なる回り道に過ぎないし、私の仕事に対する挑戦でもある。船乗りが荒れ狂う海を一つ乗り越えるたびに航海の技術を身につけていくように私は困難を克服しつつ進歩する。
私は成功するまで頑張り続ける、
私は敗北について決して考慮しない。また私の辞書には、次のような言葉はない、曰く“やめる”“出来ない”“力が足りない”“不可能だ”“問題外だ”“ありえない”“失敗”“実行はムリ”“絶望的”“撤退”。なぜなら、これらは愚か者の言葉だからである。 私は絶望を避けるつもりだが、それでも万一、この絶望という心の病に感染してしまったなら、私はこの絶望の中でも働き続けよう。私は努力し耐え抜く。私は足元の障害物に目もくれず頭上を見上げて目標地点を見詰める。
なぜなら、私ははるかな乾いた砂漠の彼方に緑生い茂る希望の土地があることを知っているから
私は成功するまで頑張り続ける
言うなれば“失敗の頻度は成功の高さに正比例する”ということである。
私が、お客さまから“ノー”と言われるたびに、それは“イエス”という声に近づくのだ。お客さまの渋い顔つきはやがて、笑顔に変わり、そこに友情が生まれる。
私の出会う不運の数々は明日の幸運の種を私に運んでくるのである。
夜があるゆえに、我々は昼の尊さを知っている、私はただ一度の成功を得るために数多くの失敗を必要としているのだ」
こんな具合な言葉が続いています。
私もめげそうになったとき、失敗を繰り返したとき、この「成功を得るためには数多くの失敗を必要としている」
この言葉を随分励みにしています。
私はよく、人にも自分にも言うこと(言い聞かせること)で、
「頑張ったから成功する(結果が出る)する」のではなくて
「成功した人(結果を出した人)だけが頑張ったと賞賛されるのだ」
究極の結果主義者、現実主義者のような自分を自覚している一方で、しかし結局は「頑張っていなければ成功しないことも事実」
頑張ることは必ず通る道なのですから、ゴール(成功)に到達するためには「頑張る」ことが不可欠なので、そうだから「頑張らなくてはいけない」のです。
が、しかしです、弱い人(弱くなる自分も)は、やがて「頑張ること」を目標に変えてしまうのだ。
それは「過程」や「手段」に過ぎないことであるにも関わらず
だから結果が出なかった時に「頑張ったのに」「頑張ったけど」という言い訳、自己正当化の言葉が出てしまう
これが負け癖、そう「悪い習慣」の火種です。
奴隷にならなくてはいけないのは「良い習慣です」
良い習慣を自らに引き寄せていくことが「地上最強の商人」になるための近道なのだと思います。
ある方も言っていました
大切なのは「何」をするかでなく「いつも」することである・・と
「私はよい習慣をつくり、自らその奴隷になる」
いい言葉じゃないでしょうか?
*書については、内容はまだまだ深いものですが今回は私の思う一部分だけを紹介しました
 
長田 一郎