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マンスリーレポート

2012年06月

共同体<共異体

 

私たちの企業テーマでもあります「コミュニティの創造」・・・ですが、いわゆる
同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと(地域社会)。
これまでは、コミュニティという言葉がこんな意味で使われるのが一般的でした
「同じ地域」といういわば「地縁」という意味合いが主体でした!
コミュニティホテルといわれるものも、いわば「地域ホテル」
その地域の人たちのためのホテル、だから行政主導や第三セクター、または地元名士が始めたものが多いのです。
しかし、今世の中で起こっている、また最近よく耳にするようになった「コミュニティ」という言葉の使われ方は、この地域共同体的な意味あいに留まっていないように感じます
それどころかむしろ、かつてのようにどこか閉鎖的、義務的な要素を残す「共に意を同じにして行動していく組織(社会)」に、排他的ムラ社会のようなイメージを持つ傾向にもあります。
無理やり繋がっていなくても生きていけるいわゆる「おひとりさま社会」が横行しているのは、「日本の世の中が便利で平和?」だからなのだと思います
これから高齢化社会を迎えて、それこそ健常老人も増え、おひとりさま高齢者も増えるといわれています。
生きる上では便利ではありますが、それで幸せかというとそれは別の問題なのだと思います
ブータンのように生きる上ではまだまだ不便であっても、国民の幸福実感度が高い国もあります
便利な社会では不便な社会よりも、生きている上での選択肢がたくさんあります
そういえばある本では「“平和の反対語は”戦争“といわれてきたけど、今は”平和“の反対は”不平和“だ」・・・と
まだまだ戦争が横行している国もありますが、おおよそ私たち日本も体験してきた、今や歴史の教科書でしか触れないような「戦争」が起こることのほうが実感にない
いわゆる「戦争」ほど不平和なものはないことから「戦争と平和」という対義語を自然に私たちは、「上・下」「損・得」「嘘・実」といった言葉同様に子供の頃に教わったのだと思います
が、今や戦争のリアリティが、少なくても日本にはない、だから平和の反対語が必ずしも戦争ではない、じゃあ戦争がないから平和なのかといわれるとそうではない・・・
しかし、では平和でない状態や状況はどういうことをいうのか・・・・とすると「不平和」となっているのでしょうか・・・
いずれにしても今の日本にとって平和の実感は「戦いが起きないこと」でも「物質的な豊かさ」でも、もっといえば「(何とか)生きていける」ということでないようになっていることは確かなようです。
戦後間もない頃のように、“隣の人と片寄せあわさなければ生きてばいけない”、すなわち必然的に共同体を組織しなければ生きていけないという状態な訳ではありません
だから日本は今、地縁的共同体としてのコミュニティが崩壊していっているともいえるのでしょう
かといって人は、人と人との「つながり」を求めていないかというと全くそうではありません
そうではありませんどころか、それを求めていますような気がします。
インターネットの世界を通じて、ドンドン人とのつながりの網が広がっています
フェイスブック現象がそれを象徴しているといえば説明の余地はないでしょう
フェイスグック現象がこれから永続的続くかどうかというのはわかりませんが、しかし、ではネット社会がなくなるとは誰もが思いません(ネット社会になったころ、そんなバーチャル社会よりリアル社会に戻るなんて言っていた人も多いと思いますが、そんな人が、今携帯電話やメールを捨てられるでしょうか・・・)
そこでこれからの社会はどうなるのか・・・
コミュニティのキーワードが「地縁」と「好縁」、またはその「融合体」的な「縁」が混在してくると思います
私は「つながり」とか「共感」または「絆」という精神的なものが「コミュニティ」の源流であって、その土台の上に物理的に近いカタチ(つまり地縁)と精神的に近いカタチ(つまり好縁)が存在していくようになるのではないかと思っています
「下流社会」の著者でマーケティングアナリストの三浦展氏が今から起こる現象で「共異体」という言葉を使っていました
まさに趣味とか知識とかでつながる関係性
競争したり、他を排除せず「異」を認め合う関係性
「繋がらなくてはいけない」・・のでなく「繋がりたいときに繋がりたい人と繋がる」
まさに地域共同体の復活ではなく、
「繋がりたいけど縛られない関係」
そういう関係をどうやってつくろうかということが今同時多発的に色々な人が考えはじめています
シェアハウスもそうですし、シェアオフィスなどは、自然と(といっても必ずそこにプロデューサ的繋げ屋さんが居るはずなのですが・・・)同じような境遇、目的、意識の人が集まってくるような施設として最近注目されている業態であります
価値観が多様化してきている今の時代では「みんなと同じがいい」という人は減って「私と同じ感じ」という人を求める傾向になっています
“何か他の人と同じじゃいやだし、他の人が私と同じであって欲しいとも思わないけど、同じにおいのする人と繋がりたい、でも違っててもいいじゃない”という感じです
まさに「共異体」というのでしょうか??
“競争しない=争わない”(争いたくない)という傾向も見え隠れします!
これも”物質的なに豊かな社会“だからこそ起きる心境なのかもしれません!
これからその「共異体」を組成すること、そして「共異体」から生み出される付加価値モノ(コト)が時代や社会を創っていくような気がします
「共異体」と言う言葉を、このPCでワードを打っていて変換すると「今日痛い」と出てきました!
それくらい今の所、全く概念も意味も文字も一般的ではありません!
時代の先端はそんなものなかもしれません!
さて、コミュニティに関する本でこのような調査結果を目にしました
全国市町村に対して
「コミュニティの中心として今後特に重要な場所は何か?」という質問に対して
①学校 ②福祉・医療 ③自然関係 ④商店街 ⑤神社・お寺
だったそうです。
まさにこれらを拠点に「コミュニティ」という概念を構築していくことが課題であり重要だということなのだと思います。
私は、このトップ5の結果を見て是非この中に「ホテル」を入れていきたいと考えています
それがホロニックの使命なのではないかと思っています
これら5つ、全て“地域共同体”としての存在意義(アイデンティティ)に関わっています
その地域に住む生活者や従事者にとって、物理的ないしは精神的に必要とされる施設ばかりです。
私たちのホテルや施設もそうでなくてはいけません!
装置産業、いわゆるハコモノ商売です、まさに「動かざる産物」という意味では「不動産」です
不動産だけにモノとして流通や物流はしません
パリのルイヴィトンの本店ではわざわざ来た日本人で行列が出来ていますが(かつては出来ていましたが・・・)
しかし、どんな旨い鮨屋でも、わざわざパリから日本に来るフランス人などは居ません
(超例外として、フレンチの名手、ロブション氏が銀座の数寄屋橋じろうに、その鮨を食べるだけのため来日するという異色な人?お話?はありますが、そんなのは”伝説の域“です)
ですから、ハコモノ商売をしている私たちにとって顧客の対象は、“身近な人”であることは否定してはなりません。
しかし、コミュニティ業を広くとらえると「物理的に身近な人」だけでなく「精神的に身近な人」の存在も肝心です!
お寺も宿坊といって、一般の人が宿泊できるようになって来ています
福祉も医療もホテル、旅館的ホスピタリティを求め導入している施設も増えてきました
自然と一体したアマンリゾートのようなホテルもあります
ホテルがコミュニティという概念と無関係でない、
「共異体」が「今日痛い」くらいにしか文字化されないような時代ですから、コミュニテイとホテルがつながるような時代はまだまだ夜明け前かもしれません
しかし、そのような社会が必ず夜明けを迎えることを固く信じ、かのような社会が出来る、それが「良質な社会」を築いていけるように、そんな社会の中心にホロニックは存在していきたいと思います!