「質的転換」
19世紀に生まれた経済学者・シュンペーターは経済学ないしは経済に関わる人ならば誰もが知る学者で「イノベーション(革新)」を提唱した歴史上の人物です。
氏曰く、「成長」(GROWTH)と「発展」(DEVELOPMENT)は違うと唱え、前者は「量的拡大」、後者を「質的転換」と言ったそうです。
質的転換・・・それは外部環境の変化から起きるものでなく、企業内部から湧き出るイノベーション(革新)によって転換が図られる、そのために絶えず創造的な破壊を行うことが重要
とういうことです。
戦後の日本はバブルが崩壊する平成初期まではまさに量的拡大によって経済成長を遂げてきました。
日本に限らず、先進諸国も第二次世界大戦以降、それまでの歴史にないほどの経済成長を遂げてきたわけです。
それが地球環境(今は世界中の人々、各地で日本国内のような生活をすると地球3個必要と言われています)を犠牲にしているところから国連主導によるSDGsの活動が先進国を中心に全世界に渦巻いているのが今・・・
今こそ「量的拡大が善」とされる世相から「質的転換」を図っていく時代に差し掛かっていると言えるかもしれません。
さて、先日、安倍元首相が選挙演説中に銃撃され死去されました。
この恐るべき蛮行は、私の世代であっても歴史の教科書で学んだ戦国、幕末、戦前に起こったような「暗殺」以降、目の当たりにしたことはありませんでした。
それが、この現代社会に起きた衝撃は図りしえないことです。
しかも・・・この理由が「政治信念」とか「イデオロギー」の違い、ないしは生活格差や不平等などの社会への不満からくるものでなく、平たくいえば「(人物が)気にいらなかった」からという個人の気分という理由がさらに衝撃的で、これってややもすると物質的に豊かな時代、ないしは国であることの負の側面なのではないかと思いました。
つまり「病んでいる」のです。
精神が病んでいる人が増えているのは、限りない欲望の広がりの代償なのではないか、
そういった意味で、このような時代を跨いで再発された出来事も、今の時代の閉塞感、ひょっとして、「量的拡大」という時勢に対しての警鐘と捉えられなくもないのではないかと思ったりするのです。
コロナ禍という全世界を巻き込んだ非常事態も警鐘と捉えたら、私たちはシュンペーターの言うイノベーション・・・「質的転換」にシフトしていく必要があるのではないかと考えています。
鬱蒼とした事例を続けましたが、イノベーション(質的転換)を私たちの今のビジネス、仕事に置き換えてみたいと思います。
ホロ社はホテル業を主流にしているわけですが、一方でその主語的には「地域資源を企画する」・・・いわゆる企画編集会社なわけです。
そして「つながりをつなぐ」コミュニティ創出企業なわけです。
ホテルとか店舗とかのハードは、そのための舞台装置であり、ショーケースである・・・つまり手段としてハードがあるとしています
私思うに、この時点でホテル業界的にいえば「質的転換」を図っています。
ホテル業を業として捉えるならば、質は、星の有無とかサイズ、立地、新古といったスペックによって捉えられます、が、そこに私たちはさほど向き合っていません。
顧客満足はいわずもがな不可欠なテーマではありますが、私たちのステイクホルダー(利害関係者)はそれだけではありません、それこそ3方よしから6方よし。・・・と唱えました。
売り手、買い手、世間、そして社会(地域)、環境、未来(次世代)・・・ここにとって同質に「よし」となるべき転換を図っていく必要があると思っています!
企業にとってP/Lは存続のために大事です・・・つまり利益を出すことは持続的に存在していくためのコスト(原資)であることは間違いありません
しかし、そのPは、つまりその「利益」はお客様にとっての利益になるのか、社員にとっての利益になるのか、社会にとって利益になっているのか、未来や環境にとっての利になっているのか・・・今の企業という構造からすると、このPは企業にとってのP(もっといえば株主)に偏っているのは自明なことだと思います
(人件費や顧客満足のための原価はPの前に計上される経費とされますし、社会活動の質感の評価は明確ではありません)
こんな現象を考えるだけでも今後企業にとって質的転換が進んでくるのではないかと思っています
最近、起業家に会う機会が増えました・・・
私も20余年前にまさに起業家だったわけですが(20年経っても起業家は起業家というのだとも思うのですが・・・)、積年して今の起業家、概ね、私よりも若い世代ということになるのですが、その多くが趣旨として「ソーシャルアントレプレナー」(社会起業家的)な人が多い、または、「自らの好き=社会良化」と紐づいている人が多いと感じています・・・
(かつてであれば、上場して金持ちになる、市場を制覇する、ないしは市場をつくる・・・などと大それたところからくるモチベーションが多かった(私もそんな意志がありました・・・)のが様変わりしたように感じます)
これも、量的拡大に背を向ける、自然な行動として出る「質的転換」のような気がします
最も、今コトを興している人達は転換しているつもりもないのかもしれません
先日ある、起業家と話をしていたら、「価値観があうこと」、「新しい挑戦に該当すること」
そうでないと、「(相手が誰だろうと)組まない」し「(いくら儲かろうと)やらない・・・」と、全く市場に迎合しない姿勢を明言していました!
これは元ホロ・上田さん(酒屋ベンチャー)の言葉ですが
みんながやろうとしているコト
みんなが既にやっているコト
価値が定まっているコト
これらに本能的に背を向ける資質がないとブランディングなど出来ない
この自身の体験からくる体感知は力強い言葉として感じますし、志をたてた起業家としての肝だと思います。
ホロ社も振り返ると20余年・・・何度もチャレンジし、その都度うまくいかなかったことの方が多かったように思いますが、今の自分と、じゃあ、その当時の自分と今勝負したら勝てるのかどうか考えてみることがあります。
もし今の自分がその当時に決断した経営判断の局面を思い起こしてみたら、今やるかどうか・・・そう考えると、やらない、やれない、ことの方が多いような気がします。
それは、当然経験を積んだことによって無謀なことをしない知恵がついてきているからでもあります。
かつて、それが出来たのは、「よく知らなかった」からです。
ただ、あの時、決断したこと、またはそれに至るまでの無謀な行動は無駄ではない・・・
とすると、それでも、今の自分が「それをやらない、やれない・・・」のであれば、ひょっとすると「あの時の自分」に負けているのではないか・・・と思ったりするのです。
自然と経験値に比例して、頭が固くなり、保守的、官僚的になって「(無謀な?)挑戦」する志向が失せてしまっていっているのかもしれません。
そんな自覚症状でもって、最近は「かつての自分」と対峙するようにしています。
かつての自分は「量的拡大的」でした・・・
量的拡大は、物差しがハッキリしています・・・「拡大」ですから・・・
しかし、質的転換とは、大きくなる、とか、多くのことが出来るとか、という量的拡大とは一線を画す、しなやかに変化を果たすことなのだと思うわけです
これは物差しがありません・・・わりと個人のさじにかかっているところがあるように感じます。
改めて、「自立した個の有機的的つながり(結合)・・・」というのがホロニックの言葉の語源
そこに「質的転換」のツボがあるのではないかと思っています。
ここを大事にする会社にしていきたいと思っています。