「差別化<独自性」
マーケティングを勉強していると必ず出てくるのが「差別化」
市場競争がひしめく中の戦略を考える上で、いかに差別性を出すか、人と違うか、他社と違うか・・・を追求するのは鉄則かもしれません
昨年から今年にかけてホロ社内外で言い続けてことは「スペックよりコンテンツ」そして「コンテンツからコンテクストへ」
私たちが携わるホテル業において「スペック」は商品力そのものであります
施設の鮮度、サイズ、立地・・・それが立地、ハコモノ商売と言われるビジネスにとっては生命線なわけです・・・しかし逆にいえば、その条件が満たされなければ競争優位性から脱落する
セトレは、そのスペックという意味では決して競争優位性は少ないわけですが、ゆえにコンテンツで差別性を図る・・・ということで「地域資源を企画編集する」という文脈で地域コミュニティホテルという業態を提唱しながら、コンテンツに力を入れてここまで経営をしてきました!
そして、今年、そのコンテンツをつなげてコンテクスト(文脈)を重視しよう・・・ということでいわゆる「物語(ストーリー)」を沸きだし、引き出して体験価値を高めることに発想を進化させていこうとしています
体験価値を沸きだし、引き出すためには、人材の発想が不可欠です、よくサービス業でいわれる「人材が全て」「人材こそ財産」・・・まさにコンテクストを追求するならば、ハコモノ商売で欠かせないスペック力や立地を凌駕するだけの人材の創造力,想像力・・・あっさりいって「センス」そして行動力・・・それが重要になってくるわけです
そのような考えに至っていくところの基点に、「差別化」というキーワードを常に頭に持っていました
弱者の戦略は「より〇〇」という比較される同じ土俵に立って戦うのでなく「いかに違うか」を創り出し、新たな土俵(市場)をつくっていくことで差別性を図り、厳しい市場競争の中で生き残る、勝ち残ることが出来るわけです
しかし、この差別性に発想が偏ると他者(社)との違いをどう出すか・・・という「違いを出す」ことが目的的になってくる傾向に陥ります
(私たちは他社(者)との違いを出すことを目的に生きているわけではないわけです・・・)
また、「これからはモノからコトへ!」との掛け声から「コト消費」を礼賛するあまり、「コト消費という名のモノ」(コト商品?という名のパッケージ商品・・・体験型プランなどはその典型です)をつくるようになります! いうなれば「手段の目的化」に陥るわけです。
体験は体感があって初めて価値があるものだと思うのですが、体験というだけで商品化されて、それを汎用してコモディティ化してしまうのが売り手側の常套句になっています
(マグロ手づかみツアー、座禅体験プラン、ヘリでいくミシュラン夕食・・・とかとか・・・)
それって、なんかちょっと微妙に変だなあ、思ったりするわけです
体感というのはその人独自独特のもの(コト?)なので、それをパッケージさせようとしていること自体無理あるのではないか・・・
などなどそんなことを考えながら、思ったことがあるのですが、最近、新卒採用対象世代、いわゆるZ世代の人たち(だけでもないのですが・・・)の雰囲気から、何か「差別化」「差別性」みたいなことをよりも「独自性」といった言葉の方が適合するのではないかと思うようになりました
昨年の東京五輪、そして今年の冬の北京五輪の競技を見ていて、とりわけ、スケボー、スノボー競技などは選手が技を競い順位がつくわけですが、その勝ち負け以上に、技を称え合う選手同士の関係性に、ある種の共感と共鳴と同時に違和感を感じました・・・
その違和感は、私(だけでないと思いますが)のように、これまで勝負の世界みたいな中で「より〇〇」「いかに違いを」というモチベーションで競い合う構図が常識としていた人の価値観からくるものだと思いました
これらの競技の選手の多くが、Z世代、加え、中学生、高校生の世代でこの舞台に上がっている選手が多い・・・ダンスなども同様です・・・技を競い、そして称え合う
勝負で負けても、自分に出来ない技に対しては賞賛し、果敢にチャレンジすることに心からその勇気を称えていました!
それ、むしろとても健全な価値観なのではないでしょうか?
差別化となると「競争の中の差別性」ですが、この称え合う技の競い合いは「共生の中の独自性」
コロナ禍以降、SDGs文脈からくる「多様性と包括受容性」(ダイバーシティ&インクルージョン)・・・「誰も取り残さない」という理念が共通認識される中で「共生の中の独自性」という概念が「差別性」よりもはるかにスマートだなあ~と
セトレも、ホテルですが、「ホテル業界」を軸に考えると、どうしてもその枠の中で「いかに違い」を見出そうとしてしまいます・・・つまり、他(の動向)を意識して自分たちのポジションを決めていく・・・あくまでも枠の中の発想に留まっています
しかし、それを外してみて、「地域資源の企画編集」が主語になると何か世界観がぱっと広がっていくような気がします
そして、それって誰とも、誰かとも競う要素がない、極めて平和的
ホロ社も社名そのもの「自立した個の有機的つながり(結合)」という意味ですが、まさにそれって同じ価値観、同じ枠組みの中でのつながり・・・ということでなく、違う価値観であっても、それが化学反応的なことを興しながら有機的につながっていく(つながっていきたい!)という期待と希望を持った概念でもあります
まさに「共同体」ならぬ「共異体」
独自性を認め、称えあう組織、その組織を構成する個人・・・
そんな個のあつまる組織体だと、そこに「生きがい、やりがい、働きがい」が高まっていくように思います
そんな組織のありかたをホロ社は目指していきたいと改めて思っています