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マンスリーレポート

2014年08月

「大きな石(意志)」

かつてこの逸話を読んだ際に色々考えさせられたことがありました。

その逸話は

「時間管理の専門家があるグループに講演をしました。彼は4リットルも入る大きな壺をテーブルに置きました、そして拳大の石を十数個取り出し一個ずつ丁寧に壺に入れていきました

石が壺の口のところまで来てこれ以上入らなくなったところで、彼は尋ねました“この壺は一杯でしょうか?”

全員が“一杯です”と答えました

次に彼は、テーブルの下から小石をたくさん入れたバケツを取り出しました!

そして小石を何個かいれて揺すりました。するとすきまが詰まって石が壺の中に納まりました。

そこで彼はもう一度尋ねました“この壺は一杯ですか?”

今度はちょっと首をかしげた人もいました。すると彼は「それでは」と言ってテーブルの下から砂の入ったバケツを取り出し、砂を壺の中に注ぎ入れました、そしてもう一度同じ質問をしました“この壺はもう一杯でしょうか?”

みんな黙っています!

次に彼は水差しを取りだし、壺が一杯になるまで水を注ぎ入れました!

そして一同眺めわたし尋ねました“この実験の意味は何だと思いますか?”

頭のいい若者が答えました“どんなにスケジュールが一杯でもよく考えればもっと仕事を入れることが出来るということです”

彼は“違います”と笑顔で返しました

“そう答える人が多いのですが、私が言いたいのはそういうことではありません、この実験から学べることは 大きな石を最初に入れないと永遠に入れられなくなるということです。”」

 

こんな話です。

まさにここでいう「大きな石」こそが「ビジョン」なのだと思います。

ビジョンというと企業的ですからもっとわかりやすく言えば「夢」とか「目的」「目指す方向」「大義」でしょうか・・・・。

それは法人とて個人とて同様です。

言われてみると私たちはいつも「目に見える現実」をベースに生きています。

というか「目に見えないもの」を見ようとしない、というか見えないわけですから、それ以上見詰めようと、考えようとしない・・・・これが普通です。

その結果、壺の中に小さいものから(入れられるものから)入れようとします。

気付いた時に入れられないものばかりが残る。

こんな経験は子供の頃でもあったのではないでしょうか?

“大きな石”は“大きな「意志」”ということです。

夏の風物詩、夏の甲子園大会も先日終わりましたが・・・それらのチームを見ながらいつもこんなことを思います・・・・

1 甲子園で全国優勝を目指す高校生やそのチーム

2 甲子園に出場することを目指す高校生やそのチーム

3 地方予選で強豪校に勝つことを目指す高校生やそのチーム

4 地方予選で勝利をすることを目指す高校生やそのチーム

高校球児はそれぞれの「志」を持って野球に取り組むわけですが、私が思うに4が最もハードルが低い、つまりそのためにやるべきことが少ない、つまり、やるべきこと手段や手法が限られていて取り組みやすいわけです。

1に向かうほどやるべきことが増え、またクリアしなくてはならない手段や手法が様々にな

ってくる、だから複雑で大変です。

しかし、1の選手(チーム)の方がはるかに取組みにメリハリがあり、極めてシンプルに同じ動作、所作を繰り返し続けているように見えます。

4の選手(チーム)の方は、取り組みやすい割には、動作や所作がシンプルではありません(ちなみに私の高校球児時代はまさにここでした・・・だからよくわかるのです)

1と4の違いは、勿論そもそもの実力や練習量もありますが、何よりも「志の位置」が違うわけです。

いくら1にかなう実力のある球児であっても4に所属しているとそのチームが1に勝ることはありません。

4の実力の球児でも1に所属すると、それまでの実力を超越していく可能性が高まります。

それもこれも「最初の意志決定」が大事

つまり冒頭の「壺の話し」と一緒です。

どこをスタートにするのか、換言すると「どこをゴールにするのかを最初に決める」ことで、これからの人生(プロセス)が変わって来るという話しです。

甲子園で優勝を目指すチームは地方大会で勝っても万感の想いで喜んだりしません。

もっと言えば甲子園出場を決めた瞬間も「歓喜!」ではないかもしれません。

目的が達成するまで、一丸になって、上手くいかなかったプロセスに対して他人に矢印を向けることなく、目的を同じにするチームメンバーと共にその解決を迅速に対応し修正をかける。

仮に誰かひとりの致命的なミスであったとしても最速、最大の力で、全員でそれをリカバーすることを条件反射で対応していきます。(この条件反射は4のチームには決して出来ません。)

なぜなら目的がはっきりしているからです。

私たちのようなビジネスないしは企業に当てはめれば、職場の空気、不安、不満など・・そんなものを打ち消すだけの空気感が組織に醸成されているかどうか・・・。

会社には経営理念とかビジョンといったものが掲げられているのが一般的で、その言葉尻は極めて抽象的であります。

「甲子園!」「優勝!」みたいな具体的に目標であればわかりやすいかもしれませんが「社会の貢献」「社員の幸せ」という文言はややもするとわかりにくくなる・・・・

それでも大きな意志、大義を掲げ、そのベクトル(方向)を指し示す責任が社長にはあります。

そしてそれぞれのリーダーがその部下の人たちに伝えていく力が備わっていると強い組織になっていくのだと思います。

CIという言葉があります

コーポレートアイデンティティと訳されますが、いわゆる企業の存在意義として言葉化される社訓とかクレド、理念、ビジョン、もっと言えば会社のロゴとか社歌とか言ったものを整えていくことと定義されています。

しかしこれも極論すると「社員全員が会社(社長)のために命を注ぎます。・・・・であれば不要なもの」とも言えます。

つまり社長は大きな石からモノゴトを始める決定をする責任がある

そして大きな石を見極めるために自身の心や魂を磨く責任があるのが経営者なのだと思います。

“大きなことをする”ことが「大きな石(意志)」であるわけではありません。

何が正しいのか、何が普遍的なものなのか

変化が激しい世の中において、変化に対応しなくては生きていけない世の中において、ブレナイ了見を持つことは容易なことではありません。

 

しかしそこにチャレンジする意志がなければ組織やヒトを巻き込んで「コトを興す」資格はないのだと思います。

そのためには、勿論目の前のことは大事ですが、経営者の役割、責務としては「大きな石(意志)」にこだわり語り行動しづけることなのだと思います。

冒頭の文章はそのことを教えてくれていました。