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マンスリーレポート

2008年02月

「人生最大のコストは・・」

 

昨年「企業最大のコストは社長の頭の中」という話をこのレポートで紹介しました。
人は明確なゴールや向かうべき方向が明らかであれば、それに向かうスピードが高まっていきます。
それは向かおうとしている地点(ゴール)が見えていて、その地点までの道のりが、舗装されていれば早いし、生い茂る草花にまみれていれば(それをかき分けていかなければいけないので)遅くなる、一方、 向かおうとしている地点さえ見えていなければ、どう向かうかというモチベーションすら起きず「あ~無情」といった心境に陥ることでしょう。
そういった意味では組織においてその構成するメンバーにとって「向かう位置」が明確に見えている環境をつくることは大切なことです。
そしてもうひとつ、その「向かう位置」がメンバーひとりひとりの指向に合っているかどうか、
「向かう位置」=「理念、ビジョン」を明確にする
そして
メンバーと、その「理念、ビジョン」を共有する
この働きかけこそが社長の唯一にして最大の役割であり、それを怠ることが会社内において最大の非効率を生み出す、つまり「最大のコスト」なのであるということです。
さて、もう少し大きな話になりますが「人生最大のコスト」とは・・というテーマ
生きていて最もかかるコスト、すなわちもっとも非効率で労にかかるコトは何かというと
「信用しないこと」
なのではないだろうかと考えるようになりました。
これは養老猛司さんの本の一説なのですが
「(前文中略)私は相手を“信用しない”ことによる社会的コストというものに、非常に敏感になったのです。相手を警戒すること、だまされないようにすることで得をすると思うかもしれません。しかし実は不信感を持つコストというのは非常に高くつきます。
なぜならばあくまでも保証を求めていかないといけない。そこには限度がないからです。」
といった一節がありました。
元々医者である氏は、このような考えが「最近の医療訴訟問題の根源は患者さんが医者を信用し
なくなってしまったところにあるといった」という見解から至ったようです。
そんな不信感が交錯する関係においては双方にとって大変な労力がかかる。
つまり「労力=コスト」というわけです・・双方の目的が“病気を治す”というところで一致しているにも関わらず・・・・
「騙されている」「損している」のではないかという不安感、不信感を持つのは人のサガだと思いますが、開き直って言えば「騙されていても食わせてもらっているのならばいい世の中だ」と思うことも出来る。
そのようなことまで言い切ってしまう養老氏の本はいつ読んでも痛快です。
話ついでにもうひとつ
家庭のコストを安く抑えるには「(夫婦が)あまり向かい合わない」ことのようです。
何か醒めた言い方で表現はどうか・・・と思うのですが、こういうことです。
向き合い過ぎるとお互いの価値観の違いが見えてきて、その「価値観の違い」「性格の違い」の論争で泥沼に陥る。
“価値観を一緒にしようとすることにそもそも無理がある”と開き直って考えれば、逆にお互いの価値観なりを「受け止められる」ようになる。
お互いを受け止められるようになれば物事はうまくいくように思います。
そういえばこんな言われもありました
「愛し合うとは、お互いを見詰め合うのでなく、お互いが同じ方向に向かい共有すること」
お互いに、自分の価値観や都合を求めたり、押し付けていくのでなく、同じ方向を一緒に向いていく努力をお互いがすることが「真の愛」なのだと。
“言うのは易し”でそんな簡単でことでもないと感じますが何か納得感があります。
お互いを受け止められるようになれば物事はうまくいくように思います。
確かにこの「家庭のコスト」の話に限らず対人関係においては同様のような気がします。
自分の価値観の尺度を相手(仮に身内であったとしても)に適用しようとしても、相手もこれま
た、これまでしっかり(自分の価値観で)生きてきたわけです。
まだまだ物事の判断の出来ない子供なら別として、成人した人は少なくても20年以上はそのパターンで生きてきた訳ですから、それを他人が変えようという試み自体無理があるし、それは“傲慢”とも言える行為にも映ります。
世間では「価値観の多様化」という言葉がよく使われてきていますが、それゆえに「受け止め力」というのは重要になってくるかもしれません。
さて、この「人生最大のコスト」「家庭のコスト」のいずれにも会社組織においてもつながってくることがたくさんあります。
社内におけるスタッフ間でのコミュニケーション、また対顧客とのコミュニケーション、対外折衝など関係各社との関係づくりなどなど、ありとあらゆるところで「価値観の摩擦」が起こります。
「信用しないこと」、
その事態はコミュニケーションの“質”や“量”によって引き起こされていることが多いように感じます。
そして、その「信用しないこと」が実は最大のコストになっているということも。
事業をやる上で、お客様からサービスや商品の対価を頂き、それが「売上」、その対価から、かかる費用を引くと「利益」が出ます。
日々現場では、この「売上を高める努力」、利益を出すために「費用を抑える努力」に邁進しています。
様々な調整なども行いながら「利益の最大化」を目指しているわけです。
目に見える「費用(コスト)抑制」というのは手をつけやすいわけですが、冒頭にも述べているように「最大のコスト=信用しない」ことによっておこる精神的な負荷がどれだけのものか考えてみたことがあるでしょうか?
社員間でのコミュニケーション、またお互いを知る(能力やキャラ)ことによって余計な労力は抑えられるのではないか・・・
取引先などと目標を同じにしていく対話が出来ていたらモノゴトがスムーズにすすむのではないだろうか・・・
こちら側の手の内(出来ること、出来ないこと、やりたいこと、やりたくないこと)があらかじめお客様に伝わっていると、やりとりが上手くいくのではないだろうか・・・
アメリカの百貨店「ノードストローム」は、お客様からの返品を全て受け入れるそうです。
それが仮にお客様がノードストロームで買ったものでない商品であったとしても・・・です。
この経営者の理念はこうです
「1%の心無いお客様を相手にする時間より99%の良心あるお客様を相手にしたい」
まさに来店するお客様全てを「信用する」ところから始まるわけです。
「信用しない」ことをベースに、つまり性悪説からモノゴトを取り組むと様々なコストがかかります。
「信用しないこと」によって「信用されない人」はモチベーションが下がります。
すると、同じ仕事をする者(上司、部下の関係など)であれば仕事や作業の効率は下がることは間違いありません。
対顧客であれば、顧客の方がその店、その人に対するロイヤリティが俄然下がります。
「信用されない人」もしくは「よくわからない人」だから「信用出来ない」という言い分もあるのですが、だからといって放置しておいて「信用しない私、そして信用されないあなた」という関係構図が勝手に解消されるようになることなどまずないわけです。
何が言いたいのかと言うと、鶏か卵かの話に終始していても仕方無いわけですから、
「信用する」ところから始めたほうが、かなり「コストパフォーマンス」はよくなるということです。
本当に言うが易しの話であるというのが、自分でこう書いていても実感するのですが、しかし突き詰めていくと確かに「信用してみる」「受け止めてみる」ことによって享受出来るメリットのほうが遥かに大きく、当然そうすることによって余計な精神的負荷は少なくなると思います。
当然生きる上での「コスト」も安くなるのです!
確かに人生最大のコストは「信用しない」ことなのかもしれませんね。
逆に言えば 人生でもビジネスにおいても最大のコストダウンは「信用することから始める」ことなのでしょうね!
 
長田 一郎