経営理念

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マンスリーレポート

2009年09月

「ベクトル」

 

ホロ社ではよく「コンセプト」と言う言葉を使いますが、それはある意味「ビジョン」であり「経営理念」「ミッション」「指針、方針」、最近の政治の世界では「マニフェスト(政権公約)といった言葉もよく出てきますが、その類と似たるものかもしれません。
それぞれの定義はそれなりにきちんとあるのでしょうけど、大雑把に言えばこれらの違いの定義を明確にきちんと私でも説明しろといわれれば「・・・・」です。
また表題の「ベクトル」という言葉、これも近しいものでしょう
「ベクトル合わせ」
これつまり向かう方向や位置を合わせるということです、
さてこの向かう方向や位置、これを企業という組織において指し示す役割をする人は誰でしょうか?
それは、いわずもがな “社長”です
このベクトル合わせをする前提に、そもそもそのベクトルが設定(存在)されたり、また明確になっていなかければ、社員さんたちはどこへ向かっていいのかわからない、どうしたらよいのかわからない、下手すると勝手に行動する人が出てきます。
これ学校の教育でも一緒でしょう
教師が子供達の個性を尊重するのはよいですが、子供は教育や学校などを通じて人格形成されていくわけですから、教師つまりリーダーは「人格形成」する役目を担っている
すなわち、正しい方向に向かうように仕向け指導する責任があります
では「正しい方向」とは?
それを決めるのがリーダーです。
学校で言えば教師達、企業で言えば経営者です。
ベクトルを指し示してされていない職場またはリーダーの下では何が起きるか。
「勝手なことをやり始める人で溢れる」か、もしくは「リーダーの顔色だけを見る人が増える」
前者は、不満分子もしくはやる気のない人
後者は、自分の保身だけを考える人、つまり組織の調和とかつながりとかを断絶する人
そんな人ばかりで溢れると事態は最悪であることはおわかりでしょう
では、そんな人材の人たち自身に問題があるのでしょうか?
“違います!”
ベクトルの設定を怠った、そしてベクトル合わせを怠った経営者、もしくはリーダーに問題があるのです。
日本的な概念なのでしょうか、企業ロイヤリティ、もっと簡単(風)にいうと「会社への忠誠心」
組織運営においてこれが本当に大切だということを私は最近常々感じます
しかし実は私は、社会人になった頃、20年ほど前にはこの「会社への忠誠心が大事」だという思想にとても違和感を覚えていました、というより大嫌いでした
入社式に歌う社歌、入社式に配られる社章、唱和させられる企業理念・・・
後にも先にも入社したその日にしか強要されないそんな儀礼的なそんなことがなぜ必要なのか全く理解できませんでした。
経済成長期の日本企業の終身雇用、年功序列といった構造が崩れ、それはすなわち「大企業に入れば死ぬまで安定、安心」ではないという状況になり、それの副作用から「個性の時代!」といわれ、「女性の雇用均等法」なども制定され、仕事・職業観などが大きく変わってきた頃、しかもバブルの崩壊でリストラやら何だといわれた時代です。
少なからず“自分の人生は自分で切り拓いていく!”
そんな意識が高まっていた時代だったからこそ、「会社への忠誠心」というものに甚だ違和感があったのは、私のみならずそんな人は多かったと思います。
そんな思いを持ち続け、「会社にぶら下がる」のではなく「会社というフィルターを活かして自己成長を」する人材が大事だということを思い行動してきました。
ホロニック社を創り社長になっても未だなお、“社員は会社を活用すべき”というそれらしい風の思想?の元「権限委譲という耳障りのよい“丸投げ””放任“」「独立する奴こそが優秀な人材」などと豪語までしておりました。
そこに社長としての会社の指針・方針などありません
(あったような気もしますが、今思うとかなり薄っぺらく無いにも等しいものです)
そんな中で共に走っていく社員はどこを見ればいいのでしょう?
それこそ冒頭にもありましたように出現してくるのは
「勝手にやる人」(勝手にやるしかない・・)
もしくは
「社長の顔色を見る人」
これしかありません。
社長は、通常様々な変化に応じて思考や行動が変わります
信念、理念の基本を持っている社長であればよいですが、それがない社長はほとんど気分や機嫌ですから、顔色見ている社員はそれに付き合わなければいけません。
苦痛です!
それでも創業間もない頃は、社員も少なく顔つき合わせてしゃべったり、語ったりする機会が多いからまだましです。
社員が増え、事業所が増えだしたら、そうはいきません。
どんどん事態は悪くなります
「そして誰もいなくなった!」
そんな事態が直面されます(ホロニック社も例外ではありませんでした)。
そしてそんな事態がおきても、まだなお去っていく社員たちの資質のせいにしたり、環境のせいにしたり少なくても自分に矢印を向けることが暫くできませんでした。
当然事態は好転するどころか悪くなる一方です。
悪くなって“もうだめだ!”となって、はたと気付く!
「この事態になって一番困っているのは一体誰だ・・・え~俺じゃん! で、誰がこの事態よくしてくれるの? というか、そんな誰かに頼ってる場合? だったら俺が変わんなくちゃいけないじゃないか・・」と
そんな傍から見たら冗談みたいな話しが現実私の中で起きたのです!
そして
社員であろうと部下であろうと人様(ひとさま)を変えようとする前に自分だろ・・と
そのためにはどうしたらよいのだろうか・・
まず会社に・・・そして俺自身がみんなにとって魅力に思ってもらわなければいけないのでは・・
魅力って・・
俺に対する忠誠心?そんなおこがましい・・などと思い巡らせながら出てきた答えは
「ベクトルを設定すること」
すなわち
「会社の向かう方向を決めること」
もっとロマンテックに言えば
「夢」
その描く夢が、人様に魅力的に映り、またそれが実現可能だと感じ、そして何よりそれに参画したいと思ってもらうことが出来ることが一番美しい会社組織の有り方ではないだろうかと思いました。
「愛し合う」という意味は「お互いの顔を見つめあうのではない」
お互いを見つめあうからお互いの欠点が見えてきて破局を迎える
「お互いが同じ方向を見る」それが「愛し合うということ」
と誰かが言ったのを聞きました。
それは会社も一緒なのだと思います。
そのベクトル(方向指示器)に、夢があって、魅力的で、明確であれば、あとはそれに賛同して共感してもらうことに尽力し、また心を高めていくのが経営者の最大にして唯一の役割なのではないかと思うようになりました。
そして今はそれを確信的に感じています!
 
長田 一郎