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マンスリーレポート

2010年05月

「夢と志」

 

「GOODはGREATの最大の敵」と言う人が居ました
そして
「一人前と一流には差がないけどそこには大きな壁(溝)がある」
何がそうさせるのか?
GOODとGREATも、また一人前も一流も実は大きな差がないとのこと
しかしそれを埋めようとしない
なぜか?
「どちらでも食えていけるから」
なるほどです・・・
GOODでも一人前でも何とかなるからです
むしろGOODまで至っていないBADくらいの方がGREATになる確率は高いのかもしれません。
その方がいわゆる「ハングリー精神」に溢れているから・・・
「充足されている」・・だからこそさらに一歩踏み込むことを躊躇させる。
その「食っていける状況」にそこそこ満足しているのに、それを破って一歩踏み込むリスクを考えてしまうということでしょうか?
昔よくあったような(今でも?)ゲーム番組で「100万円に挑戦する!」的なゲームでいくつか問題をクリアし50万円くらい獲得したところで、さらに難しくなるであろうあといくつかの問題に挑戦する(もし失敗したらこれまで獲得した50万もパーになる)かどうかで躊躇するようなシーンです
まあそれはいわば”お遊び“なので出演するほうも見るほうも和やかなものですが、本当に自分の生活や人生がかかると本当に迷うところなのでしょう
ゆえに、そんな三途の川を渡るような「GOODからGREAT」の溝、またそれを乗り越える心構えや覚悟は本当に大きいのでしょう、
これまで積み上げてきた功績や経験、財産、知財などなどがなくなってしまうかもしれないリスク、・・・・そう!”捨てる覚悟“をすることですから・・
だから「最大の敵」
この「敵」もしくはこの「問題」の根本、根源はどこにあるのでしょうか?
それは「自分の意識の中」に他ならないでしょう
ではその意識の違いは何なのでしょうか?
「志」の違いなのではないでしょうか?
では、“志”って何なのでしょうか?
私の尊敬する野田一夫先生曰く
ある雑誌の対談で以下の言葉をソフトバンク社長、孫正義氏に言っていました
「“志”と”夢“の違いは分かるか?」と・・・・
「“夢”というのは漠然とした個人の願望、車を買いたい、家を持ちたいといった夢はみんな個々人の未来への願望。 でもその個々人の願望を遥かに超えて多くの人々の夢、多くの人々の願望にかなえてやろうじゃないかという気概を“志”というのだ。
夢は快い願望だが、志は厳しい未来への挑戦だ、だから”志“と"夢”では全く次元が違うぞ。“夢を追うなんて程度の男になってはいかん。”志“を高く持て”」
と30年前の若かりし頃の孫氏に言ったそうで、それを今でも鮮明に心に刻み、それが今のソフトバンクの源流になっているとのことでした。
自分のことと、それ以外の人や社会に対しての幸福を抱き、それが自分の信念や使命と感じる。
その瞬間に最大にそれが人間本来の持つ生き方に原動力になるような気がします。
ところでホロ社を創業した頃に掲げていた会社のコンセプトはこんなことでした
「総合コミュニティサービス産業のイノベーションカンパニーを目指します」
ホテルに限らず施設や空間を通じて生活者の“よりよい生活文化の創造”などとうたっておりました。
具体的には結婚式場や飲食店での料理やサービスなどを提供したに過ぎず、本当に人々の生活を豊かにするなどというところにアタマがまわってるわけもありませんでした。
そもそも今は
「ホテル業を通じて地域の人々の生活環境の充実、向上を目指し“良質な社会創り”に貢献します」
とうたっているわけですからこれまで随分「言葉と頭の摺り合わせ?」が行われてきたことがお分かりだと思います。
しかしながらどこかに「何か人々や社会に役に立つ、貢献する」「人や社会に必要とされる」そんな事業をしたいと思っていました。
それが自分だけの夢と重なって投影されているので、今でも「自分の夢」を述べるようなことがあっても「私が〇〇になりたい」というのはありません
「〇〇になっている場面や環境をつくっている私でありたい」という具合です。
そう思うと私にとって10年ほど前から大きく会社の展望や組織観はあまり変わっていないかもしれません。
しかしあるときには「遊休施設の再生」、ある時には「ホテル業」というのが主語になってその都度都度微妙に立っている位置が変わってきたような気がします
つまり微妙なブレです
その社長のブレが会社や組織を揺れ動かし、集まった人材を犠牲にしたりしたのかもしれません
最近「志」を真剣に考える機会が増えました
本当にホロ社や私が「すべきことは何なのか」「したいことは何なのか」「それが正しいことなの
か」
深く突き詰めていくと今やっていることは目的ではなく手段なのではないかと思うようにもなりました。
売上や利益を上げることも目的のための手段や条件に過ぎません
お金を儲けることは企業を存続するためには必須のことですが、それが目的ではないはずです
引いて言えば「ホテル事業を確立する」ことも同様です
ホテルというハードウエアの運営を目的化すると、当然そのハードに人を埋めることが目標になります
何を実現するために人を集め、なぜ人を建物に埋め込む、入れ込むのでしょうか?
私たちの施設、また私たちである必要性を感じてもらうことで、そこに集まるお客様に私たちなりの信念に沿ったコンセプトが支持され、満足され、感動され、そして何かしらその人々の生活や人生の中で影響を及ぼせることが目的なのではないか
ホテルはその目的を充たすための手段、目的を果たすための舞台装置に過ぎません
ホテルというハコの中で、“人と人とがつながり、絆を深め、共感の輪を広げる”
そんな場や時間を創造していくのが私たちの役目、役割ではないかと思うのです。
そう考えると「ホテル」という既成概念も、もっと言えば「ホテル」そのものの存在意義や価値も変えることが出来るのではないかと思ったのです。
「ホテル王」になることを夢見る人が居ます
何か事業に成功した人が最後に自分の存在を誇示するために「ホテルをつくる」
つまり成功の象徴が「ホテル王」という見方をする人も居るのが現代です
(かつてはもっとそんな風潮があったようですが・・・)
でもそれは豪奢な建物という意味のような気がします。
現場ではホテルのGMになることが憧れや夢になる人も居ます
しかし残念ながら「GMが夢だ!」と言っている人に限って「GM」が目的化してしまって、では果たしてどんなホテルをつくりたい、どんな価値をお客様に与えたいという信念を持っている人が少ないような気がします。
権限を持つことが目的化されているのです
それは到底「志」と言えません
せいぜいその人個人の「夢」です
夢はいくらでっかく持っても所詮”夢“です
さら尊いものは「志」のような気がします
自分や自分の周囲の家族や仲間も守れないくせに「志」とほざくのもまた本末転倒です。
本末転倒ではありますが、志を立てて、そこに向かうことを決めることで具体的なアクションが始まります
GOODや一人前で留まらないためにも「志は高く」していくことが大事だと思います
「夢と志」の溝はまさしく「GOODとGREAT」「一人前と一流」の溝に近いと思います。
飛び越える必要を自らが主体的に感じることがなければそこには絶対到達できません。
主体的な意識は、そもそもの技術や経験、スキル的能力を超える資質なのだと思います。
なので、実はハードルは高くないのだと思います。
踏み込む勇気や、自分を変えていく、高めていく意欲の高さ、熱意に深さ・・・といった「自分の意識」が肝心要の要素であり、ハードルなのだと思います。
そして何かの他に対する使命感みたいなもの、利他の精神が無ければその溝は埋まらないのだと思います
自分自身、我が身を振り返り再度そこに「磨き」をよりいっそう賭けていく必要があることを感じている今日この頃です