経営理念

HOME > トップメッセージ > マンスリーレポート

マンスリーレポート

2010年11月

「コミュニティは幸福の指標になるか?」

 

「お帰り!」と言ってもらえる場所
「お帰り!」と言われるような人間関係
こんな昔では当たり前の環境が日本では崩れていっているようです
経済的な豊かさを確保した日本における「豊かさ」の代償がこれかもしれません。
収入を縦軸に、幸福を横軸に線を引いて、出来た4つのコマ、左斜め上、つまり「収入はあるけど幸福感がない」のが「日本」、そして驚くことなかれ南米諸国の決して恵まれていない国の人々の実感値が「右斜め下」つまり「収入はないけど幸福!」だそうです
物質的豊さが不要だとは思っていませんが、しかしこの指数から物質的豊かさだけが幸福ではないことが、今の社会でクローズアップされてきたのではないでしょうか?
哲学者で大学教授の内田樹先生によると・・・
今、「見て見ぬふりをする大人たち」が増えているといわれていますが、かつては「見ないふりして見ている大人のまなざし」があった・・と
かつての「職住一致」の生活空間にはそのようなまなざしが、まなざしとして刺さないように気遣われつつ、そこそこ充満していた。
家庭の事情で、子供が泣きじゃくりながら通りを駆け抜けるのを見て、すぐにでも声をかけたやりたいところだが、その場しのぎの解決にしかならないことを知っていて、だからだれそれとなく、無茶をしないかと黙って遠目に見ているような光景が当たり前のこととしてあった。
「育てる」などともいわず、そこにいけば子供が「見ぬふりして見る大人たち」に囲まれて「勝手に育つ」ような場がかつてはあった。
しかし現代は集合住宅にそのような厚いまなざしを期待するのは難しい。
昔の長屋のような水平の目線から高層住宅のような縦目線になると互いに顔を見合わせるのもエレベーターの中だけということになり、「見ぬふりをして見る」というファジーな関係が成り立たなくなる、すなわち子供がそこいれば勝手に育つという空間がなくなる・・・と
少しつながる話しだと思いますが、「祭りのある地域」は生存率が高いそうです
これまでの話からわかるような気がします
一体感のある集合体、目的を共にした組織は、そこに絆が生まれ深まります
以前のレポートでも「人生最大のコストは信用しないこと」と書きました
その逆で信用する、される、いわゆる信頼関係がぎっちりしている間柄には極めて効果的な効能が生まれるのだと思います
それは生活空間においてもそうですが、職場においても同様です
今。“乾いた時代”と言われています。
しかし、一方で「人とつながりたい」という欲望、欲求は弱まるどころか強まっているのではないでしょうか?
その証拠にブログやツイッターというツールで同じ価値感や目的を持ったもの同志のつながりが広がっていくのは留まることを知りません。
意識共同体というコミュニティがいわゆるネットの社会ではドンドン広がって、これは当然一時のブームでなく、一般生活における「普通」の構造になってきています。
しかしリアルの世界ではコミュニティ=人と人とのつながりが希薄になってきています。
おそらく昔は公衆浴場(銭湯)というのもその役割を果たしていたのだと思います
お寺や神社、教会などもそうかもしれません。
しかし神社仏閣は今でもなくなりませんが、それ以外のコミュニティ的施設、寄り合い所的空間は減ってきています。
そういった意味でこれからは昔のような「ベタッとした共同体(コミュニティ)」にはもう戻らないのでしょう
しかし完全になくなることはネットでのコミュニティの進化や発展を見ていると、「繫がりを求めない」というようにはなりません。
どちらかというと、適正な距離感で一体化していく社会が「普通=スタンダード」になるのではないでしょうか?
何か近所付き合いも、やたら深いものであればうっとしいけど、ホドホドの関係性は持っておきたいというニーズは高くなっているのではないでしょうか?
考えてみれば「近所」というのはそもそも同じ価値感や同じ目的観でつながっている人たちではありません
(当然芦屋六麓壮や田園調布のような完璧な経済的な裕福な人ばかり集まった地帯においては、価値感、目的観などを共にする人が自ずと集まってくるのでしょうけど・・・)
近所だから・・・子供やその通う学校や塾などの関係から・・・といったことで、ある意味必然的に「お付き合いしなくてはいけない」かつ一方で「お付き合いしておいた方が無難」
という感じでしょうか
ということは、ムリクリに近所付き合いせねばならないという風に感じるのが苦痛になります
しかし、そんな中にもたまたま井戸端会議をする中で、同じ趣味を持った人、同じような志向、または悩みなどを持っている人などとめぐり合ったらそこから深い関係が築かれていきます
しかもそうなるとエリアを越えて芋づる式に「紹介」とか、それこそネットを利用してグループ化されていきます
だからこそこれから「コミュニティのあり方」も随分変わってくるのではないかと思いま
す。
いずれにしても「つながる」ということを主体的に求めていく人が増え、それが増えるための受け皿をしっかり築けたら、本当に「無縁化社会に向かっている」といわれる現代を変えていける一旦を担えるような気がしています。
いつも繰り返していますが私たちのビジネスは「ホテル」という「ハード」、「ホテル」という「業」を通じて「コミュニティを創造していく」ことが大目的な会社です
意識共同体としてのコミュニティを時代の要請、生活者のニーズに応じて、いくつもつくって、その受け皿としてホテルという空間をデザインしていくことが大きな役目だと思っています。
冒頭の「見て見ぬふりをする今」「見ぬふりして見ていた昔」の話しは、「目を離して手を離さない」と「目を離さないで手を離す」という話しと少し似ているような気がします
今「目を離して手も離す」ことによって起きている幼時虐待や高齢者の孤独死、また若年層の無差別殺人などが増えています
これも物質豊かさの代償の一部かと思います
はなはだ教育を語る身分でもありませんが、今のゆとり教育は「目を離して手を離さない」、厳密に言うと「目を離してもよいようにしっかり手をつなげておく」ような社会構造の傾向になっていっているような気がします
だから子供の学校に「給食を出せなんて頼んでないのだから金払わない」などという想像も出来ないことを言う、つまり「目を離して手も離そうとする」ような親が登場してきているのではないかと思います。
本来的には「目を離さず手を離す」ような社会から自立した人間が育成されていくのだと思います。
そんな社会が実現出来るような視点、つまりこれからの社会生活においての「ヒトづくり」(はなはだ人様つくるよりまず自分の人格形成をしっかりせよ!と言われそうではありますが・・・・)を大目的にして、人々のつながりや絆を高めたり、強めたり、深めたりする「コミュニティ創り」、その舞台装置や手段としての「ホテル業」が私たちの手で実現していけたら本当にすばらしいと思っています。