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マンスリーレポート

2011年02月

「人と人をつなぐビジネス」

 

縦軸(上下)に収入、横軸(左右)に幸福度の線を引っ張ると4つの枠が出来ます
その左上、つまり「収入は高いけど幸福度は低い」
一方右下、つまり「収入は低いけど幸福度が高い」
あるデータによると前者は「日本」、後者は「中南米の貧困国」
だそうです
物質的に豊かになった国、日本の国民はなぜか「幸福度」を感じていない人が多い
これはどういうことなのか・・・
それは物質的な豊かさの代償として精神的な豊かさが枯渇しているということ
一方後者の後進国の人々は経済的には苦しいけど、人と人とが肩寄せ合って頑張って生活を豊かにしようとする・・・何か希望や夢や期待を胸に秘めて生きているのでしょうか
そんな構図は戦後日本がどん底から上がってきた時代と似ているのかもしれません
私はそれを体験している世代ではありません。
よくわかりませんが後進国の人たちがかつて戦後のどん底から世界第二位の経済大国へ変貌していた姿を尊敬の念を持ってみている人たちもたくさんいるということから・・
「ALWAY3丁目の夕日」という高度経済成長昭和30年代~40年代の日本を舞台にした映画のサブタイトル
「豊かでないけど明日への夢があった」
これのフレーズに感慨深い思いを持ちます
バブル崩壊の前後からよく言われている「モノからココロへ」
これは経済的に恵まれた国、すなわち先進諸国の課題なのだと思います
テレビという道具を例えにした話です
高度経済成長期の日本にテレビが出現してきました
その頃はその町内会に一台、そんな時代です
その道具を通じて近所の人たちは集まってきて、みんなでブラウン管の向こうで流れている「力道山が(にっくき)外人レスラーをやっつけるシーン」に熱狂したといわれています
近所の同じ目標、同じ価値感を持った人たちが集まってその皆にとって便利な道具に集まってそれを囲んでいた
その頃はおそらく人と人をつなぐ道具としてテレビは存在していたのだと思います
それがやがて、一家に一台、これも家族を繋ぐ道具として君臨していました
そして今やテレビは一部屋に一台、もしくはひとりに一台となりました
まさに人との繫がりを阻害する道具になってしまいました
テレビという道具がこの半世紀で「人と人とを繋ぐ道具」、つまり「コミュニティを形成す
る道具」であったものが、「コミュニティの崩壊を招く道具」と化してしまったのです。
テレビに代表されるように、機械化された道具が生活に便利なものとなり、それまで人がやっていたことを代替するようになりました
川で洗濯をする必要もなくなり(そもそも昭和に入って川で洗濯する人もいないでしょうけど)、洗濯機という道具が出来ました
大浴場に行くことなく家に風呂場が出来近所同士の会話が減りました
近所同士に会話やお付き合いが希薄になるだけでなく、もっとも少数単位であるコミュニティといえる「家族」もドンドン崩壊しています
「個人化の時代」と言われるようになりましたが、それが行き過ぎると「無縁化」が進みます
それによって引き起こされる問題は、「引きこもり」「いじめ」「孤独死」など陰湿な事故、事件が増大してきます
途上国では「引きこもり」など起きないそうです
そう「引き込んでいる場合(暇)」などないのです
人が人を助け、協働で肩と肩寄せ合いながら生活原資を確保しなければ生きていけない状況の中では「引きこもり」といった現象が起きないということです
この現象も物質的に豊かな国の特徴なのかもしれません
そんな社会の中で、昔のようなコミュニティ、生活共同体が復活するようなことはもはや想像できません
コミュニティを維持することのほうが苦痛で、ストレスになってしまいました
日本は今そんな社会なのではないでしょうか?
そして日本に限らず経済大国にとってそれは同様な課題があるのだと思います
さて、かといって一方で「人と人との繫がり」を捉えた場合それが枯渇しているのかというとそうでもありません
情報化社会、つまりネット社会においてはブログ、ツイッター、SNS、フェイスブックなどといったものでも「繫がり」を求める人が増殖されているのも事実です
確実にいえることは、人が人との繫がりを求める志向はなくならない、むしろ進化する。
そういったところから、これから「新しいカタチのコミュニティ」というものが出てくるのではないかと思います
「誰とつながっているか」「誰とつながるか」が大きいキーワードのような気がしています
情報化社会が進めば、誰とでも、いつでもつながることが可能になります
これまで?みたいな「仕方なくつながる」必要はなくなるかもしれません
(近所だから、関係もっておかなければならないから、町内会、PTA・・みたいな義務的なつながりはこれからのニーズに合わなくなってくるでしょう)
つまり、かつてのような「ベタッとした共同体(コミュニティ)」はもう復活しない
その代わりに、適度な距離感で一体化する共同体(コミュニティ)を求めるニーズは益々
高まってくるのではないでしょうか
コミュニティを維持することが苦痛でストレスになった今(なってくるこれから)にとって「共同体(コミュニティ)を維持するための技術」が必要になってくると思います
同じ言葉、同じ宗教、同じ価値感、同じ趣味、同じ目的観・・・といった同じような資源を持ってして生まれるつながり
そのつながりをつくる、いわゆるファシリテーター(仲介者、進行役、調整役)という存在がこれからのビジネスのキーマンになるのではないかと感じています
ファシリテーターは人ですが、それを組織的にやるのであれば会社です
それが兼ねてから私が「コミュニティ創造企業を目指す」と言っている所以です
これから日本は少子高齢化、しかしこれは日本だけの話しではありません
今世界中の人口は増え続けていますが、そのほとんどが後進国です
日本をはじめ先進国はほとんど高齢化しています
高齢化が進むということは、それだけ働く人、すなわち経済価値、いわばGDPを生み出す源泉が衰退していくということです
シンプルにこれからの日本を言えば、今の生活水準を維持させようとすると、働く人が今の2倍の時間働くか、2倍の効率で仕事しなければ維持できないということです
これからの若者、子供達にとって不安な時代がやってきます
まさに、人が人を助ける、助け合う必要性が出てくるのがこれからの時代です
医療費も確実に上がります、老人が増えるわけですから介護も必要になります
これからは医療福祉だ!と言う人も多くいます
しかしこれからのビジネスを考えた場合、それ以外にも充分ビジネスになることがあるはずです
そのひとつが「コミュニティビジネス」です
もっとわかりやすくいうと「人と人をつなぐビジネス」です
私たちはコミュニティホテル業です
コミュニティホテルは「地域密着ホテル」といわれていますが、これからの役割や存在意義はその地域にあって地域の人を対象にしているだけの概念のホテルだけでは留まらなくなると私は思っています
私たちとお客様、地域生活者がつながって絆を深めていくことはもちろんのこと、その人同士のつながりのファシリテーターになっていくことが大変重要になってくると思います
それがビジネスになっていきます
消費大国の消費者志向は「欲しいモノ」(必要性)から「大好きなモノ」(趣味嗜好品)へ移り、そしてこれからは「参加できるコト」へ変化していく
それに合わせたコンセプトデザインを構築する組織が強くなってくるのではないかと・・・
「参加できるコト」を生み出す、それはすなわち「コミュニティの創造」ではないでしょうか