経営理念

HOME > トップメッセージ > マンスリーレポート

マンスリーレポート

2011年08月

「みんなちがって、みんないい」

 

「『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。
『ばか』っていうと『ばか』っていう。
『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。
そうして、あとでさみしくなって、『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ、だれでも」
これは東日本大震災後に毎時間、毎分のように流れた公共広告機構(AC)のCMでの詩であるということは多くの人でもわかると思います この後、男性の声で「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる」という語りが入る……という構成で、日本が今、こういう状況だけに改めて人と人のつながりを考えさせられるCMであったと思います
この詩の作者は金子みすずという明治から大正時代、20代の若さで亡くなった詩人です。
テレビで氏の特集を観ました
震災以降、「絆」と言う言葉、また「コミュニティ」の概念が日増しに使われるようになっています。
私たちが携わる婚礼業界においても、少子化による結婚人口の減少や、生活構造の変化(おひとりさまでも生きていける社会環境の進化)などで結婚する人が減少する傾向などが渦巻いています。
結婚が「恋愛のゴール」から「家族のスタート」、つまり共同生活の大事さ、尊さなどが重要であるということから「結婚概念や意義」に新しい変化が出てきている様相でもあります。
ところで今の日本の状態を、「幕末から明治維新」「戦前から戦後」そして「バブル期から震災」
この3回の転換期を歴史の節目、変わり目と論じる識者が多いと感じます。
幕末から明治維新の頃は、それまで幕府主体とはいえ藩がそれぞれ権限を持った分権だったものを日本政府による中央集権に変革されました。
日本国内の中で争うのでなく、いわゆるオールニッポンで諸外国と渡り合うことを推し進め、血を流すことなく大政奉還を成し遂げた功労者のひとりが坂本龍馬であることも昨年来のブームから知った人も多いでしょう
そしてその数十年後、第二次世界大戦で日本が敗戦になり、焼け野原から経済大国になるまでの過程、これもいわゆる官民一体の護送船団方式でした。
「ニッポン」という国の中枢の人材が音頭を取って全員(全国民)が私欲を横におき国を支える。
まさに「欲しがりません勝つまでは!」の精神そのものでした。
そして世界有数の経済大国になった後、まさに今、この数十年の間、バブルの崩壊、そして天災などによる混乱が起きました
まさに第三の転換期なのかもしれません。
そして今、中央集権的な国の経営や運営に波紋を呼んでいます
「地方のことは地方でやる!」そんな気運の高まりが地響きを立てて始まっています
国家に例えれば「国と地方」との構図ですが、色々な組織であてはめていけば「トップダウンからボトムアップ」の風潮です。
そこで「個の自立と全体との有機的調和」こそが大きなキーワードだと私は感じております。
しかしながら「個の自立」だけはいけません
それは必要条件でありますが充分条件ではありません。
バブル崩壊後、ソビエト共産党が崩壊し、社会主義的な思想が衰退していった一方で、かといってアメリカ式の経営、過度な個人主義的、行き過ぎた資本主義思想が必ずしも人を幸せにする訳ではないことは9.11同時多発テロやリーマンショックなどから明らかのように証明されています。
個の自立が大切であると共に、調和が不可欠であるということです
日本は元来「卑怯」という概念に対して並々ならぬ抵抗感を感じる国民性があり、それは武士道の精神から来ているものとも言われています。
「卑怯」というのは「弱いものいじめはしない」「ずるいことはしてはいけない」「女には絶対手を挙げてはいけない」というのは私たちが子供の頃に自然に教わったことばかりです。
それは人が人とが支えあって生きていく上での「調和の精神」だと思います
それは「依存」とは違うものです。
自立した人同士が調和をする構図です
個の自立と、同時に、個々間の有機的調和
一見すると相反するような概念ですが、これからの生き方にとっても大切なことなのではないでしょうか?
これも金子みすずの詩だったのか!と先月知りました
わたしが両手をひろげても、 お空はちっともとべないが、 とべる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音はでないけど、 あの鳴るすずはわたしのように たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい
「みんなちがって、みんないい」
私がつけた社名ホロニックという言葉の意味、また組織観はまさにこれであることに、この詩に出会って気づきました。
何ともいえぬ、個性は誰にでもあって、その個性を尊重しあうことが大事であることはここまでわかりやすく表現されたものはないのではないでしょうか?
これまでの自由主義、資本主義はまさに戦いだった
戦いは戦争や喧嘩だけではありません
「商戦」も立派な戦いです
年末商戦、クリスマス商戦、販売戦略、顧客ターゲット・・・私たちの仕事においても戦(いくさ)、戦(いくさ)、また戦(いくさ)
お客様は“攻略する”もの
まさに戦争用語のオンパレードです
マーケティングの概念も競争相手にどう勝つか、お客様にどう勝てるか、いずれにせよ「戦にどう勝つか」、そのためにどう差別化するか(違いを出すか)です。
そこの登場人物は「みんな」ではありません
「私・俺・我々・うち・こっち・・・」です
私とあなた、俺とお前、我々とあなた方、うちとあちら、こっちとあっち・・・
向かい合っています、相対してします
少なくても・・・・
みんなちがって、みんないい
ではありません。
世知がない世の中になってきたと言われています。
物質的に豊かな国になって、なお、オタク的な人の凶悪犯罪や虐待的犯罪、変態的な性的犯罪などが増えているのも現代社会の特徴とも言われています。
個々人が自立しなくてはいけません
しかし同じくしてその自立した個々人が調和してくることで、新しい知や智が創造されてくるのではないかと思います。
この一見二律背反的な思考や行動がスパークする組織で起きてくる社会を目指していきたいから私はホロニックという社名をつけたのかもしれません。
みんなちがって、みんないい
それを根底で本質的な姿勢や目線で肯定していける組織そして社会をつくっていきたいです!