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マンスリーレポート

2007年07月

「失敗」について

 

今年も早半年が経過しました。
個人的には間もなく40歳の大台に乗るわけですが、さかのぼって10年前を振り返ってみると、まさに30歳、その頃はまだ前職で、現場の前線に立って様々な試行錯誤をしていた頃です。
現場の代表かのごとく(実際そうでしたが)、お客様と向きあい、また経営者とも向き合っていました。
独身でもありましたので、そういった意味では今の生活は随分変わりました。
さらにその10年前、20歳の時は学生で、まだそのいい加減な立場で人生を謳歌しておりました。
将来のイメージは勿論就職観すら全くありませんでした。
勉強は、と言うと、社会勉強という名目の元(というか「社会勉強」だという認識も概念も抱いていませんでしたが・・)、遊びまわっていました。
と振り返ってみて、その頃のそれぞれに、その10年後というのは、全くイメージが出来ていなかったですし、また思っていたとしてもその通りになってはいません。
だから、学生や若い人に
「将来何したい、それが明確でないとダメだよ」
などとは到底言えません。
証券会社からブライダル業界へ、東京にいたと思ったら神戸に住み着いたり、勤め人から創業してみたり・・
考えてみると随分脈略のない人生を歩んできているように思います。
それでも何とかやってこれているのは何故なのだろうか?と考えると、
今でもそうですが自分の生き方について常に何か「考え続けている」からであるような気がします。
「自分の人生は、自分自身が総支配人」
だからそのことへの興味をなくす事をしない。
これはとても重要なことだと思います。
「ホロニック社の人は“個性”と“独りよがり”を勘違いしている人が多いじゃない?」
といわれることがよくあります。
それは、私はじめ会社全体の風土として「個性」という耳障りの良い言葉で全てひとくくりにしてしまって「それで良し!」みたいにしてしまっているからであるよう気もしています。
ややすると、このサービス業や接客業において「個性」という言葉で片付けると「お客様をない
がしろにするのか!」、と言うような傾向になっていまう恐れも出てきたりするのですが、そんなことも含め容認しているわけですから(但し「お客様をないがしろ」を容認しているのでなく、そんな傾向になってしまう社員の心理状況を容認しているだけですからお間違えの無いように・・・)、なかなか難しい組織だと、他人事のように思うこともある今日この頃でもあります。
それでもやはり「自分」を形成していこうとするモチベーションが一番人生にとって大切なように思います。
考えてみると、今の自分の源泉は、うまく行かなかったことの蓄積によって成されているように思います。
皆さんにも共通していることだと思いますが、
振り返ると、失敗体験や体感ばかりが思い出されます。
その時考えたり、悩んだりしたことが全て自分の肥やしになっています。
逃げ出したりしたこともありましたが、そのことを封印しなければ、つまりその過去の失態に向き合い、認め、そして笑い飛ばせるようになっていれば、それも肥やしになるのだと思います。
以前にも書きましたが「成功」の反対は「失敗」でなく「何もしないこと」だと
だから失敗はむしろ「成功」の応援団なのだと・・
どうしても組織になってくると、しかも大きな組織になってくると、個々人もそうですが、組織全体、つまり経営者や経営陣も「失敗」を恐れだします、自分でもそう感じるときはありますし・・・
もちろん失敗しないほうがよいのでしょうが、振り返ると「失敗の歴史」が自分自身の形成に最大に役立っているという現実を思うと、何か複雑な矛盾な感じを彷彿させる気分になります。
「犬も歩けば棒に当たる」
どんな者であっても何かアクションすれば、何か見出せる――
そんな意味のようです。
実際歩き出さなければ棒にも当たらない・・・
それではダメなんだ!と思うのです。
今やホロニック社はベンチャー企業と言えなくなって来ているようです。
何を持って「ベンチャー企業」というのかは定かではありません。
社歴とか社員の人数とか、新しいことに挑戦しているイメージとか色々あるのかもしれませんが、私はベンチャーというのは会社組織の、そしてそれを構成するメンバーの志や想いが前向きかどうか、そんな指標なのだと思います。
ホンダやリクルートを例にとると、大きな会社になってもベンチャー的イメージがあります。
失敗することに怯まない、そんな風土を忘れはいけません。
ある中小企業の名物社長が言っています。
何かを決定するとき正しい判断というのは「良いか、悪いか」で決定するのでなく「早く」決定する、それが正しい判断だと断定しています。
そのココロは
「良いか悪いかなんてやってみなければわからないでしょ!
そんなことに時間割くのでなく、早くやれば、それが間違っていればすぐに修正できる上に、失敗事例が蓄積されそれが重要な資源になるでしょ」
ということでした。
だからその会社では、成果を善し悪しで評価するのでなく、早くやったかどうかで評価するそうです。
クレーム(報告)が少ないことを評価するのでなく、クレーム報告書の量(多さ)を評価するそうです。
だからどんな報告でも上ってくるそうです。
失敗の量が多いのは褒められたものではありませんが、しかし人は失敗で学ぶ訳ですから、しっかり「失敗」に対して向きあえる、そんな体質、風土を個人も組織も持てればよいのではないかと思います。
40歳を間もなく迎える私にとって、向こう10年、50歳になっている自分をイメージするようになりました。
多分、イメージしている通りにならないのだと思います。
なぜなら、今まで「その通り」になった経験がないから・・・
ましてや、今から「数多くの失敗」を具体的に想定することなど到底怖くて出来ません。
というか、これから起こるであろう失敗などイメージしたくもありません。
だからそんな自分が描く今からの10年後の想定など、全く信憑性はないのだと思います。
しかし、それでもやはり「(10年後なりの)自分の想う絵を描く」という行為は大切なのだと思います。
夢や、目的、目標は「掲げること」に意義があるのだと思います。
高校野球で甲子園出場したチームや選手は誰過不足なく「甲子園に出場する!」という夢、目標から目を背けたことはないのだと思います。
そんな気がなくて、“偶然、ラッキー”なんてことはあり得ません。
結果が「ラッキー」だったいうことがあったとしても・・・・
だから、「掲げること」「打ち上げること」はとっても大事です。
その掲げたモノが現在の自分の身の丈と、大きく乖離していると感じた場合・・
ひるむことも、卑屈になる必要もありません!
「失敗の数」が増えるだけです。
乖離の具合と、失敗の数は比例するのだと思います。
でも夢や目標の実現のための「意志」が強ければ強いほど、早々「失敗」などに簡単にめげたりしません。
一方で
「手の届くような夢や目標であれば、失敗が少ない」
そんなことは子供でも理解出来るでしょう。
もちろん私たちは大人ですから、身の丈を認識することは重要です。
重要なのですが・・・・
では、どうするか?
それを“決定”するのも自分の「意志」なのだと思います。
自分の人生は、自分自身が最高責任者です。
それ以外は居ません!!
当然の事ながら、親兄弟でも会社でもありません!!
皆さんはどうしますか???
自身の夢や目標を、具体的に掲げていきませんか?
更にそれを周囲に「宣言」していきませんか?
「宣言」するとどうなると思いますか?
「逃げる」ことがなくなります。
なくならないにしても、少なくても随分減るとは思います。
逃げられないことは、「退路を絶つ」こと。
それはとても厳しいことかもしれません。
でもいずれにしても、“自分の人生からは逃げられない”
このことだけは確定しています!
 
長田 一郎