経営理念

HOME > トップメッセージ > マンスリーレポート

マンスリーレポート

2009年03月

「カリスマ性のある経営者」

 

私が1991年に大学を卒業する際の論文、いわゆる「卒論」のテーマは「マーティン・ルーサーキングとそのカリスマ性」というタイトルでした。
マーティンルーサーキング(キング牧師)は1960年代、いわずと知れたアメリカの公民権運動の黒人指導者です。
インドのガンジーに傾倒し、人種差別社会に非暴力主義を唱えながら臨んでいった信念のリーダーと言われています。
その当時、なぜ私がこのキング牧師を題材に卒論を書いたかを思い出してみました。
①自分が神学部という一般の学生と異なった学部に居ながら全くと言っていいほどその専門について勉強しなかったので、せめてその証を残すためにはせめてキリスト教にまつわる題材にすべきだと思ったから
②兼ねてから、経営者、リーダーという人種に憧れみたいなものがあり、実際自身が起業を目指そうという意識があったから①と併せ持った中でカリスマ性というキーワードが気になっていた。
③ゼミの先生からアメリカ社会のアイデンティティ(自己統一性)はキリスト教という風に教わっていたのでアメリカでのベースをテーマにしてみたかった
(人種のるつぼ、かつ歴史の浅いアメリカが世界的社会のリーダーになる基盤になるのはキリスト教という宗教によってであることと聞いていたので・・)
といった具合にこれらの理由からキング牧師をテーマに自分の学生時代の「勉強面?」での集大成(といってもそれ以外はほぼちゃらんぽらんなのでかなりベラペラですが・・)として頑張って書きました。
当時はインターネットもないので、調べるとなると書物くらいしかありませんでした。
「ガンジー」という映画も見ました。
成績は「良」だったような気がします。
私的には渾身の作品だったのですが、かなりの誤字脱字を修正されながらの結果、「可」ではなくお情けに「良」だったのだと思っています。
父親には「タイトルだけ見れば興味がそそるけどな~」と、褒められているのかなんだかわ分からないようなコメントをもらったような気がします。
まあ、いずれにしてもそれ以来今日に至るまで、その頃を思い出すくらいなわけですから頑張って卒論を書いたということはよかったのだと思います。
また「カリスマ性」というキーワードを意識し始めたのも、これがきっかけだったのかもしれません。
当時非暴力によって戦いに勝っていくというのはどういうことなのか思いました。
キング牧師にしても、ガンジーにしてもその強い信念によって「民(たみ)」に影響を与え、共感をもらい、支持を受け、それを持って権力に対していく。
その姿に感銘を覚えたような記憶があります。
難しい言葉で言えば「イデオロギー」
簡単な言葉で言えば「想い」
その強さで人を惹き付けていく。
以下ガンジーの映画です。
ガンジーがヒンドゥー教とイスラム教との間におきた宗教暴動が全土に吹き荒れる折に、何度も「断食」という手段によって混乱を収めようとしました。
(そもそもリーダーが断食して、それが民にどう訴えかけられるかはさっぱりわかりませんでした・・ことさら企業でいえば経営者が役員報酬をカットや返上するようなこと(当然そんなレベルよりも命を捧げるということでしょうからもっともっと重いことでしょうが・・・。) に近いのかもしれません・・)
自らを追い込むことで民に影響を及ぼすことは私のような凡人には到底イメージできないことですが、それがカリスマ性のあるリーダーともいえるのかもしれません。
そのシーンの中で私が強烈な印象を持っているのがこれ・・・
(ヒンドゥーかイスラムか忘れましたが)どちらかの宗教信者が断食しているガンジーに歩み寄り「私の子供が相手(仮にイスラム)の信者に殺された!どうしたらよいか」と涙ながらに怒りと悔しさと苦しみを訴えました。
ガンジーはこう応えました
「救われる方法はひとつ、あなたは、イスラム教徒の(暴動で殺された)親の子供を拾って育てなさい」
驚くことなかれその後のセリフ
「そしてその子を、(あなたの信じる)ヒンドゥー教の教えでなく、イスラムの子供として育てなさい」と
ボンクラ学生の私でもこれは大変な衝撃でした!
まさに「汝の敵を愛せよ」
人を徹底的に信じること、それに徹しきった人の力には凄まじいエネルギーを震えがでるほど感じました。
自分自身が今経営の現場で(もちろん経営だけではないですが・・)、うまくいかないと感じる場合ほとんどのことが人のことばかりです。
経営資源の3要素というのがあり、いわゆる「ヒト・モノ・カネ」(最近では「情報」も加わる
といわれていますが)、少なくても私たちのようなサービス業では、モノに実態がない、もしくは見えにくいモノですし、またそれ自体、ヒトが醸し出す「空気」のようなモノでもありますからそこには必ずヒトの要素がかかります。
カネにしてもそうです、ヒトの手によってでしか生まれてきません。
売上や利益を上げることはもちろん、調達すること(集める)やそれを有効に活用することも全てヒトの意志によってどうにでも変わっていきます。
従って、経営がうまくいかない(と感じている)場合の全ての起因は「ヒト」によるものであるという気がします。
ヒトというのは、自分の経営者の資質というものを含めての話ですので、スタッフの質とか働きの具合、頑張り具合といったことだけではありません。
しかしながら会社の質は経営者の質と大きく連動していると感じます。
それは「小さな会社より大きな会社がよい」とか、社員の人数とか売上の大小、利益の大小という二者択一的な発想で質を判断するということでもありません。
経営者のその思想、哲学、理念、コンセプトがどこにあるのかが明確であることで会社の質や器が決まるのだと思います。
質を高めるためには経営者自身、そう自分自身の器を大きくしなくてはならないと思います。
そこに教科書はありません、
いや厳密にいうと教科書だらけなのかもしれません。
日々目に触れるもの、耳に障るもの、鼻に嗅ぐもの、肌に触れるもの、口で味わうもの全てが教科書に成り得るのかもしれません。
それに気付くかどうか、それを活かすかどうか・・・それが大きなところかもしれません。
それを活かすことで自身の器を大きくし、いわゆるカリスマ性が育まれていくような気がします。
決してカリスマ性とは「声が大きい」「豊かなパーソナリティ」「強烈なキャラ」であることではないのだと思います。
私は甚だ「カリスマ性」というキーワードに惹かれながらも、自身でそれを当てはめられるのかという思い上がった感情はありませんが、ホロ社という会社を通じて社会に対して影響を及ぼせるヒトになっていきたいという気持ちは強く思っています。
そのためには自分の器を大きくして、「カリスマ」を追求していくことは大事なことなのだと思っています。
当然、経営者に限らず、人に影響を及ぼす、社会に影響を及ぼす、またそんな志を持つ者にとっては必ず必要な要素が「カリスマ性」なのだと思い直した今日この頃でした。
 
長田 一郎