「Mean Of Life」
個人的なことですが、今月でまたひとつ年を重ねました。
毎年節目になる時、年齢を重ねるときや年が明けるとき、年度の始まり・・・などには自分なりの抱負を掲げたり、新たに何かを課したりするのですが、時間の経過と共にうやむやになってしまい反省しています。
懲りずに今回も考えたことを、このレポートで記すことで皆さんに監視?(証人)してもらう・・・少なくても監視の目があることを自分の中に持ちあわせようと思います(本当に自分のことを棚に上げていうのもなんですが、人は弱い生き物です)
さて、掲げたのは大きく3つ
ひとつは
「一日一閃(せん)」
これは一日一つ何かを閃(ひらめ)く
閃くことは意識してなるものではないと思われるかもしれませんが、そんなことありません
むしろ、意識することで閃きの機会が増えるように思います!
閃く人で、ぼ~と生きている人はきっといません・・・何かを考えている、考えている最中から、ある時に、ぱっ!と閃く・・・それは何かと何かがつながった瞬間、過去の体験や記憶と、今起きた事象がつながった・・・とか、それまで考えていたことと今巡りあった事象がぴたっとハマったとか・・・
「イノベーション」はビジネスで出てくる用語ですが、それはこれまでになかった変革や何か新しい革新といったニュアンスで使われています。
また、「新結合」とも訳されますが・・・これはまさに文字通りですが、「結び合わせ」
それは何かと何かをつなげ合わせて、新しい捉え方、新しい切り口・・・つまり見方を変えることで閃いたり、新しい概念が生まれてくるのだと思います
だから、閃きも、何か日々「考える」ことで生まれてくるものでしょうし、そしてそもそも「考える」というのは「動く」ことによってしか生まれてこないもののような気がします
動かすのはいわずもがな「体」だけでなく「頭」もです
まさに「考(行)動力」・・・換言すれば、うろうろ、きょろきょろ・・・見る、聞く、話す!その量こそが「閃き」の第一歩!、それを毎日1つ閃くためにはこの行動と考動の量を「1閃」のために増やしていくという意識を持つことが大事なのではないかということでやっていきたいと思っています。
2つめは「準備能力を高めること」
元大リーガ・イチロー選手の名言で「準備とは言い訳を排除すること」と言っています
私(だけでなく多くの人も)は、振り返るといつも何かに言い訳をして生きています、しかもその言い訳も、ついつい何か自分に都合のいいように正当化しています
不都合なことがあれば、何かに、または誰かに、矛先を向けます。
出来ないことがあれば、環境や、時間などの不具合に矢印を向けてしまいます
イチロー氏に限らず成功を賞賛されている人に共通しているのは、「結果にコミットする」などとあまり口にしていません・・・
結果は全て準備段階で決まっていることを自覚している
つまり、結果が出るために考えられる全ての準備を事前に整えている・・・
つまり、他人に対してはおろか、自分に対して言い訳を全て排除しているということです
この言い訳を排除するためにしなくてはいけないのは、やはり行動と考動です
ここを「徹底≒言い訳を排除」することで準備力が育まれる
準備力があれば、おそらく何かに焦ることもなく、不測の事態が起きても動揺することなく状況に対処できる、もっと言えば、「未来(結果)を恐れることはなくなる」
これはそもそも経営者には必要な資質だと思います。
この2つの心構えを単なる「気構え」に留まらず、行動、考動・・・つまり自ら具体的に「動く」ことを習慣化することに徹していきます
そして3つ目
京セラ創業者・故稲盛和夫氏の「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉があります
意味はなんとなくわかると思いますが、「それをするための動機は善なのか?そこに私心はないか?」を自問自答すること、そして、し続けること!
これは、かつて京セラがNTTの寡占状態だった通信業界に一石を投じ第二電電(現在のKDDI)を起業しようとする頃、京セラ本業とは違う業態、業界に、それまで長年蓄積された資本の多くを投入することを決断するにあたって(当然他の役員達は反対)ずっと自問自答したそうです
これをするのは、なんのためにするのか?、儲けたい、名声を得たい・・・など自分(達)の欲やエゴは一切ないのか?などなど、
私も経営者の端くれとして、色々な判断や決断を要することが少なくありません。
経営者はラストマン、、、その背後にカバーする人はいませんので決断そのものがモノゴトを決する、そのような覚悟が求められる、それがそもそも経営者の役割なのだと思います。
そこで必要なモノサシとしてこの「動機善なりや、私心なかりしか」が出てくるわけです。
正しい判断をする場合、どのような基準でするべきか・・・で悩むわけです。
今や、「正しい」の定義も、モノの見方も様々な局面で違ってくるわけです。
そんな時こそ、「誰がみても正しい最後の答え」を見つける
誰が正しいのか?で判断するのでなく「誰からみても正しい」というものを追求していく
それは「人間として正しいこと」まさに「真理」「原理原則」の追究かもしれません、
それを考えていくこと・・・
稲盛氏もイチロー氏も、「誰か!に負けない・・・」とか、“誰か”、とか、“何か”に左右することはありませんでした。
「(誰でもない)誰にも負けない努力」を追求した結果、それこそよき結果に導いたのだと思います。
コロナ禍以降、VUCA(不透明)な時代と言われいます。
益々、これからどうなっていくのか、どんな仕事、職業がいいのか、何が正しいのか、どこに向かっていくのがよいのか・・・など「何」(DO)の良し悪し、つまり「正解」(間違いのない解)を求めて(委ねて)いく風潮が高まってきているように感じます!
ロシアを取り巻く有事、中国の台頭など、今生きている世代にとって常識とされてきた資本主義のあり方も揺れています。
地球環境問題にもたくさんのイデオロギーが相まって何が正しいのか、何が良いのか悪いのかも混沌としている、つまり判断するのが難しい。
そのような時こそ、自分の頭で考える力、予測できない事態に向き合えるだけのあらゆる準備を備える力を持ち合わせることが重要になってくると思います。
特に、私のような、(これまでをつくってきて、これからを担う)責任世代にとってそれは真剣に捉えていく必要があると感じています
その中で、DO・・・何がいいのか、何をするのか・・・でなく(その前に) BE・・・どうありたいか、
まさに「生き方」や「生き様」、
生きる意味・・・「Mean Of Life」
これは人それぞれの持つ価値観に拠るものです。
誰かと比べる必要も、その良悪や優劣に意味もありません。
どう生きるのか?・・・職業(どんな仕事)で価値を決めるのでなく、優しい人になりたい、とか、社会に役立ちたい、といった本能的な志向こそがその人の存在意義であり価値そのものです
かつて「マタギ」という職業がありました(今でもいますが・・・)
いわゆる猟師で狩猟が職業なわけですが、実際は狩猟をするのは春先だけで、夏から秋は野草を育て、田畑の仕事がメインになり冬は、その食糧を食い扶持にしながら山から採ってきた木々などで、春に備え作業するための鍬や斧を製作する、病気になったら薬を求め山に向かい薬草や樹木から薬を採る
そんな繰り返しをするいわゆる地域の自然内部循環に沿った生き方を体現している・・・
すなわちマタギはいわゆる職業でなく、生き方(様)だと聞きました
まさに、これからの時代、正しい職を見つけていくのでなく、生きる意味を見出し自らの生き様をつくる
閃くこと、時代の変化に備える力(準備力)・・・そのためには考える、行動する・・・この量を増やすことで自分の生き方や生き様が見えてきて「生きる意味~Mean Of Life~」が明快になっていくのだと思っています。