「イメージとマネージ」 ~戦略芸術家こそが真のリーダー!~
表題は1996年、今から27年前に出版された著書のタイトルです
著者は、日本ラグビー界のレジェンド・故平尾誠二氏と事業家で編集者の松岡正剛氏との対談式の著でラグビーを軸にしながらリーダーシップとゲームメイク(事業)の戦略的指針を語っている哲学的な本です
私はラグビー好き(見る方)と平尾氏が同志社大、そしてやや同世代(先輩だけど)というところからかねてから興味もあって初版が出されたその頃に読みました
そして四半世紀以上経った今読み返してみて、とても重要な示唆があり、今も褪せない発想や感覚にとても共感しました
ラグビーは野球の類と違って試合中、ずっと動き回っていてゲームが止まることがありません(観客席から呑気にビールを飲みながらという感じではありません)
大きな人(スクラムを組み大きな人達=FW)、足の速い人(BK)、小さな人(パスを出す専門みたない人=SH)や指揮者のような人(SO)といったサッカーよりも多様な役割と個性の集まりで前後半の合間以外、作戦タイムなどがない、しかもほぼグラウンドでは止まっている人がいない・・・
そんな試合展開の中で常に、次のプレー、次の相手の出方を読む、ないしは予測し、ないしはイメージしながらこちらの動きを瞬時に変化させていく
まさに「イメージをマネジメントする」、それを両者曰く「イメージメント」と語っていました
つまり、いわゆるイメージトレーニング的なことを常に要するスポーツともいえるかもしれません
(アメリカンフットボールも戦略的なスポーツだと思いますが、試合がタッチダウンごとに切れるので動的観点からいえばラグビーと異なると思います)
当時、私も20代後半、前職で若いながらマネジメントに対する問いや答えを求めていた時期で、この本読みながら、逆に「マネージをイメージしている💦」ような心境だったわけですが、リーダーとして求められるのはモノゴトの本質を見抜けるか、見抜けないか、色々なものがある中で何が一番大事か、優先か、それを外さないことなのだということが積年の中で気づいてきたことです
さて、今、さらこの本を読み返したのにはきっかけがありました
それは今年3月に開催されていたWBCの日本チームが優勝し、色々な質問を受けた栗山監督の戦略思考でした
多くの人がまだ記憶にあるかと思いますが、準決勝の村上選手のサヨナラヒット、決勝戦の投手起用(ダルビッシュ投手と大谷投手のダブル起用)
前者では、逆転のチャンスを大谷選手のヒットからつくり出してから回ってきた、それまで絶不調の村上選手を交代させるか(ないしはバントさせるか)どうかの決断時に、「ムネに任せた」と送り込みました
その時の振り返りインタヴューで記者が「代打や送りバントという選択肢はなかったのですか?」という質問に対して
「もちろんバントの準備はしていました、しかし最終的にムネ(村上選手)で勝負に出た、こういうのが出てこないと世界一にはなれない」
こういうの(こんなシーン)が出てこないと世界一になれない・・・
ロジカルにゲーム運びを考えながら、確率を越えたことで選択する
世界一を目指してきたわけですから、世界一になるとしたら、この選手がこの場面で打つというシーンが実現しなければなし得ない・・・ということです!
ドラマ以上にドラマテックな現実・・・素敵なストーリーテラーなわけですが、まさしくイメージをマネージしているのです!
後者では、多くの国民が期待した投手リレーだったわけですが、セオリーからするとありえない起用でした
しかし、なぜそれが出来たのか・・・という話の中で栗山監督は
「あの二人がやられたら仕方ない、あそこでつないだところで僕の仕事は終わった」
そしてその後も「個人的には本調子でないダルビッシュよりも米国人選手に馴染みのない宇田川の方が安心」だったそうですが、これも確率を度外視した、まさしくロジックを越えた物語演出。
その場の状況、それまでの選手ひとりひとりの状態、そして当該選手の状態、心境、そしてなによりも、この場面で、こうなったら日本国民は歓喜にまみえる、うまくいかなかったとしてもこの起用であれば多くのファンは納得する(だろう)、逆にセオリー通り、術的に取った作戦にした場合、うまくいった場合、行かなかった場合、それぞれにどうなるか・・・の様々なイメージを持って判断した起用だったようにマスコミの問いに応える言葉を聞きながら感じました
イメージは勘ではありません、まさに「モノゴトの本質」を見通すこと、見抜くこと
そのためには、松岡氏曰く「構想力と判断力と理解力、そしてもうひとつ大事なことは、プロセスを説明できること」だと・・・
「自分で引き取る責任」(レスポンシビリティ)が社長などのリーダーに要求されることが多い(なので、引責辞任すればいいのかって風潮がある)ですが、大事なことは「説明できる責任」(アカウンタビリティ)と言っていました。
セオリー(理論)がない、ロジック(論理)を越えるところに戦略の痺れるところがあり、それが人々の感動を呼ぶ、その感動というイメージを持ってマネージ(説明)する
まさにそれこそが「イメージをマネジメントする」ということなのではないかと思います
平尾氏曰く・・・「イメージの多様性がラグビーを拡張する、イメージはマネージされたときさらに加速する」
これ私なりに換言すると、「イメージすることの引き出しがあればあるだけ世界観が広がる、事業の可能性が拡張する、そしてイメージを言葉化なり説明できるようになり、それを繰り返して(反復)続けていくとさらに事業は進化し、加速する」
ラグビーを例えにしているけど、スポーツも事業も、リーダーシップに欠かせない素養は一緒
そして時代を経ても、ないしは時を越えても「イメージとマネージ」の相関関係は変わらない
そう感じています
栗山監督は「僕の仕事はスポーツじゃない、哲学しかない、本を読むのが僕の素振りなんです」
平尾氏も栗山氏もスポーツ選手であり、優れた戦略芸術家であり、それこそ真のリーダーシップなのだと思いました