「質的転換期」 =地域資源を企画する!をアップデートする=
2020年の年始から始まったコロナパンデミックがほぼなくなった幕開けの2025年を迎えました
この4年間に限らず、平成初期から「失われた30年」といわれるほど国内経済成長が停滞したとされる中でようやく、株価が浮上し、ゼロ金利を脱する状況にもなり、物価も(賃金も)上昇基調になってくる様相です
それに伴い、これまでの社会からの転換が期待されるわけですが、個人的にも、これから社会はどう変わっていくのか?に強い関心を持って、その社会の変化に順応すべき会社経営の当事者として「どうあるべきか≒あるべき有姿」を思案し続けています
この数年「昭和的」という言葉、またそれを題材にした特集などを多く見かけるようになりました
「ふでほど」(不適切にもほどがある…というドラマタイトルの略語)が流行語大賞になるなど、近過去と現在の意識ギャップが懐メロのように取り上げられていて、その世代にいた私にとってそのノスタルジーに強い共感を覚えたりする、一方、それ以降の世代の人はそれが新鮮に映る…
いずれにしても、価値観、価値意識が知らず知らずに大きく変化していることは間違いないのでしょう
不確実性の時代(VUCA)とも言われていますが、不確実な未来を予想する中でも日本の人口は減少していくことは確実です(確実というより、確定!ですかね)
私が幼少時代は人口増による経済成長の可能性(稼げる若年層が増えていく状況は今の経済発展目覚ましいアジア諸国と近しい)が想像できました
一方、(それが自給資源の枯渇や確保が危ぶまれるというのが問題になっていました)今は減り続ける時代
そして今、いわゆる、「成長(期待)社会」でなく「成熟社会」に成り代わっています
そうなるとGDP(国内総生産)という「量的拡大」を目指すことの現実性は薄れ、「国内総充実」(Gross Domestic Well-being)という言葉が出てきました、それはまさしく「質的転換(発展)」
だとすれば企業に対しての評価基準は、これまでの財務諸表(売上や利益、剰余金、有形資産の量)だけでなくなる可能性があります
ESGやSDGsという概念は世界中でのコンセンサスになっていますし、この10数年で非営利、営利問わず社会性に沿った団体、ないしはスタートアップ企業も増えています
昨年「姿勢を質す」と掲げましたが、それが企業にとっての「無形資産」「知的財産」として、より重要性が増してくるのではないかと思っています」(もちろん財務指標が大事でなくなるわけではなく、それまで見向きもされなかった?ような社会性・倫理性という概念も同様に強く求められる…ということです)
まさに、このコロナ禍の4年間がそれまでの昭和平成のバブルの盛衰の30余年間以降の社会の「質的転換」を促す、つまり、社会の価値観が劇的に変わった歴史的期間(狭間)だった・・・と数年経過した後に明らかになるかもしれません
バブル後の失われた30年といわれる中でもインターネットが登場し、ITやAIという新しい産業が生み出され大きく成長した企業も少なくはありません
その中でホロ社も誕生し、ホテル事業に参入、チャレンジしてきました
ホロ社の業態は、いわゆる江戸時代の「旅籠」(はたご)と言われた時代から続く「宿業」
なので、それは、決して新産業ではないわけですが、それゆえに、既存勢力がひしめく業界の中で独自性、特徴、競争優位性、差別化を追求して地道ながらも独自のスタイルを築いてきました
これまではひょっとすると、いわゆる「業界」を意識し過ぎるあまりその範囲の中でのたうちまわっていたり、マーケット(市況、トレンド)に流されたり追いかけたりしながらそこに打ち勝つ(負けない)ことにまい進していたのかもしれません
つまり、目の前の事象や目先の変化に対応していく志向が強かったのではないか・・・と思い返しました。
しかし、不確実性が増す、価値観が多様化する時代…つまりたったひとつの答えがないとされる世の中になるとすれば、業界とかマーケットに一喜一憂するのは意味がないのではないかと思うようになりました
もっとそんなこと超越して、視点を広げ、視座を高める姿勢
まさに視点3原則といわれる、「鳥の目(上から・俯瞰してみる)、虫の目(横から・流れを読む)、魚の目(近くから・細部を見詰める)の多彩な目線で自らの質(脳)を転換していくことが大事なのではないかと思うのです
私たちは「(相手や市場に)負けないために仕事をしている」わけでもないし「生き残りのために生きている」わけではありませんし、そうあってもいけないような気がします
ホロ社でも掲げる「いきがい、やりがい、働きがい」を持って生きる!、働く!・・・がよいに決まっています
さて、ホロニックはこれまで「地域資源を企画するホテル」と掲げ、普遍的によしとされる商品・サービスを創造することを主眼に、主体性と主体性の応援を軸に社風を築き、七転八倒しながら経営を続けてきた四半世紀でした
「ホテルが地域資源のショールーム」と存在意義を定義するのであれば、いわゆるショールームといわれる、「見て触れる空間」に留まらず、宿泊(泊まれる)という滞在機能があることで「過ごし」の体験体感知が深まりその触れ合う価値への理解が高まる(その逆で、滞在することで落胆度が増すというリスクもあるが、それはサービス業として問題外!)
そのようにマインドセットするとやれる、やるべき可能性がグッと広がりそう・・・そんな当たり前のことをホテル業という枠に囚われていたら案外気づかないものだと痛感したります
つまりホテルという業態は「目的」なのではなく、私たちの「地域資源を企画編集するという目的」を果たすための有効な「手段」なわけです
言い換えると・・・手段に過ぎない・・・そう考えると「ホテル(手段)を通じた〇〇(目的)」という具合に捉えると、もっと可能性に満ちた事業を展望できるのはないでしょうか?
コロナ前から雨後の筍のように国内にホテルが増えてきました・・・そして今も増え続けています
業界大手はもちろん、異業種からの参入、大手資本、不動産業界…などがその先鋒にありますが、それらの企業群は当然ですが「ホテル業界」に対するポテンシャルを見据えて参入してきているわけです
観光産業やインバウンド政策は、数少ない国内の経済成長戦略の肝でもあり、まさに国策でもあるわけですからその市況(マーケット)に挙って企業が参入してくるのは、宿泊という需要が増えるわけですからビジネス戦略で捉えたら必然的です
だから(しかし?)、今増えているホテルの多くは「寝床の量産!」なのです
その市況傾向からすれば「寝床としての宿」は増えていくでしょう
目敏い事業者は、その差別化の「手段」として「地域資源」(地産地消とか…)を差別性の文脈で使っています
そう…手段が「地域資源」あくまでも目的は「ホテル(≒寝床)」
だけど、その分野(志向)に私は興味ありません
思えば、ホロ社は創業時「婚礼の会社」でした…そこからホテル業へシフトしていきました
当時ブライダル業界はベンチャー(今でいうスタートアップ)企業が勃興している時代でした…ホロ社はその1社でもあったわけです
当時、駆け出しの頃、婚礼はとても素敵な事業な一方で、旧態以前の業界慣習が色濃く残っていてなんだかおかしな業界でした…だから挙って新しい感性の若い世代(当時の私も20代)が参入してきたわけです
その競争の中で,いろいろなチャレンジを続ける中で感じていったことは、結婚式のプロデュースは素敵な仕事だけど、一過性のイベント業だということ…
これだけ素晴らしい生涯一度のセレモニーを挙げることをつくっていくための数か月から1年もかけて新郎新婦様と関係を築いていくのに挙式を境に関係が途絶えてしまう…その繰り返しを毎週末、毎月行われている
生涯顧客になるくらいの関係性を持ち得るのにそこで断絶されるのはなんとも釈然(勿体ない)としていなかったのです
しかし、ホテル(宿泊機能)という業態があることで、また気軽に戻ってこれる、思い出せる場所になる、忘れない想い出になる、普遍の景観があれば尚更、そう考えるとホテルというのは婚礼事業にとって大変都合のよいコンテンツだと思ったわけです
セトレを始める時でも、業としてのホテルは目的ではなかったのです
だから、当時、「ブライダル会社」から「ホテル会社」に乗り替わったつもりもありません
それまでのブライダル業をアップデートしたかったわけです
そもそも創業時から掲げていた「つながりつなぐ」という事業の上で大切にしたいことがこの原体験から実走されたのかもしれません
オーベルジュという業態があります・・・それは宿泊付きレストランです・・・
主語はレストランです・・・つまり「泊まれる食堂」です
そこの売りは言わずもがな「シェフ」そこから繰り出される「料理」です
ミシュランというタイヤの会社が、いつぞやタイヤ・・・というか車の需要を上げるために「わざわざ車でいくに値するレストラン」に星という称号をつけてガイドブックをつくりました
わざわざ時間をかけて車で3時間もかけていくレストランで至極の時空間を過ごした後に3時間かけて日常に戻るならばそこで泊まれてその余韻を翌朝まで残せたらいいだろうなあ~と思いませんでしょうか?
そこでも「宿」はレストランにとっても有効な業態といえるのではないでしょうか?
お客様の満足を至福にしていくためにはどうしたらよいのか?お客様とつながり続けるにはどうしたらよいのか? ここが肝であるべきなのですね!
そのような背景から、「ホテル=宿」が私にとって目的とする業にはなっていないのです
さて、少し戯言が過ぎました・・・のでここまではほどほどに読み流してください!
書きながら改めて思ったことは、私が最も大事にしているのは「お客様とのエンゲージメント(つながり)」・・・それが「コミュニティ創出」という言葉にしたためられているのかもしれません
と思いました!
さて、長くなりました! 今年2025年の展望・・・それが表題
これからのセトレというホテルをアップデートしていくためには
「地域資源を企画する!をアップデートする」ことに他ならないと思っています
その「地域ならでは」を体感してもらえやすいのが「宿」、それはつまり滞在時間が長いわけですから有利であることに間違いありません
そういった意味で、いわゆる「ホテル」というのは絶好の業態のひとつと言っていいと私は考えるのです
それは、昨年1年の間に、実際直面した出来事によって改めて深く考えることができました
今春でホロニックにとってのホテル1号店「セトレ舞子(神戸市)」が20周年を迎えます
そして昨年、舞子セトレの土地の賃貸借契約更新を行うための公募が行われ、今後30年で更新される運びになったのは周知の通りです
そのためのプロセスに1年近く費やしました、その費やした時間の間に色々考えました
向こう30年といえば私は87歳・・・おそらく生存しているか・・・していたとしても現役で経営していることはないでしょう・・・そんな先のことを展望(考えさせられる!)することはこれまでありませんでした
今から丁度30年前、阪神大震災が起きたわけですが、その時、今の姿は想像すら出来なかった
(ちなみに私はその頃、前職にいて、東京在住なのでそのシーンを報道などで見ているだけ、しかもその数か月後神戸に赴任するとは思いもよりませんでした、赴任した理由は、偶然ご縁あった震災によって半壊した施設の立て直しですから、当然、当時からすると今関西在住で、会社を経営している姿を想像の欠片もありませんでした💦、なので、さらに今いる皆さんとの出逢いや縁など奇跡以外言いようがありません)
そんなことまで突き詰めていくと、想像できない世界を想像していく(見ていく)ということは果てしなく難しい
想像できないことは、普通想像しません、というか出来ません!(当たり前ですが・・・)
でも、長い目で見たら想像のつかない未来(コロナとか震災とかバブルとか戦争とか)が現実的に起こるのが普通なので、今想像できることを目標にしないこと、ないしは、想像できることにダメ出しすることに臆病になってはいけないのだと思います
ホロ社は、今ホテル業を行っているわけですが、そんな生業に対しても視野視点を変えていくべきなのではないかと考えています
公募提案の内容で、土地賃貸人である神戸市に対しては、次の30年を展望する上で周辺に広がる公園・砂浜・緑地から明石海峡大橋・淡路島などと広域(産官学)連携を図り、神戸西端のゲートウエイ(玄関口)としての存在意義(ステイタス)を高めていくべく、「KOBE WEST COAST PARK」というビジョン構想を打ち立てました
また、若年世帯人口が増える地域であることもあり、今年、一般社団法人ホロニックを設立し「学童ホテル」と称して地域の学校とも連携し、ホテルだからこそできる「体験プログラム」をつくり、地域の子育て世代にとって住みよい環境を築いていく一助になる取り組みをスタートしていくことを折り込みました
具体的方法論が明確なわけではありません、まずは理想的な有姿を掲げることが大事だと考えました
30年の間に、この場所が神戸西端の玄関口に相応しいエリアになっている絵姿!
その軸にセトレの存在が輝いている姿はどんなカタチなのあろうか?
ホテル業である必要があるのか、今主流になっている結婚式場としてのありかたはどうなっているのか、(そもそも少子化が進み切ったその頃、結婚式、どころか結婚の概念すら変わっているかもしれない)
地域資源を活かすショーケースになっている理想郷は何なのか?
「ホテル=宿」を生業にしてきた私たちが、その枠を超えていく、
私たちが関わる地域(エリア)に潤いをもたらす当事者になる
ホロ社のメンバー達はそんなことを考えている集団にしたい、
また、セトレハイランドヴィラ(姫路市)においても、位置する広峰山の保全・活性化を軸にした公益活動の事業化にも着手したいと考えています
社会的共有財産である山の持続性を考えることが、引いてはその山の中腹に宿るホテルのサスティナビリティ(持続可能性)を高めることにつながります
まさに「山の活性化」に軸を置いた、そのための貴重なインフラとしてのホテルです
山を守る中で、ホテルの必要性や社会的役割は何か?・・・という観点で捉える・・・なんていう発想はこれまで考えたことありませんでした・・・が、これからはこのような発想起点が私たちの肝になる
セトレならまちでは、開業以来、奥大和といった吉野・十津川などの山間部との連携も深めてきましたが、さらに明日香村で新たに分散型ホテルPJTにも参画していきます
1000年級の街や村の持続性を主体的に考え、より潤いを高めること、そこに存在する宿=ホテルの意義は何なのだろうか・・・の視点で地域資源を企画する
「ホテル業」から、「ホテルを通じた地域マネジメント業」
地域プロデュース業を謡う会社はたくさんありますが、ホテルを実業に行っているきちんとした会社は私の知る限り皆無です
地域と来街者(観光客等)の結節点になることで観光公害の概念もなくなり、住みたくなる・関わりたくなる街になることで自ずとエリアの潤いが増す
エリアの体温をあげていくことで、地域ロイヤリティが育まれ、結果、活力・魅力溢れる場創りの営みが沸き起こり「地域資源を企画する」がアップデートされていくのだと思います
ホテルも街も放っておくと劣化が進みますが、「経年美化」という概念こそが美しいです
ホテル事業を開始して20年の節目に改めて原点である「地域資源を企画し、発掘、発信、交流を促し、地域の資産価値を高めていく」
その役割を担い、貢献ができる「ホテルを通じた地域マネジメント会社」を目指していきたいと思います
そして、皆さんがいきがい、やりがい、働きがいの持てる…つまりは、「皆が誇りに思える会社」にアップデートしてまいります