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Monthly reportマンスリーレポート

「次のセトレ」

2024年が終えようとしています

毎年この節目の1年を振り返ったりして自分なりの総括をするようにしています

時事的には政治経済、文化、スポーツ・・・色々ある中でも、やはり「大谷翔平!」が個人的にはダントツな印象でした

球界世界最高年俸から始まり、通訳の横領、結婚、そして50-50の達成、大リーグ史上2人目のMVP3度目の受賞、そしてワールドシーズ制覇・・・

世の中(少なくても日本では)は全てのトピックを凌駕するだけの出来事でした

と、色々とあるわけですが、ぐっとフォーカスして、私にとってのホロ社の今年のトピックは、色々ありますが「ホテル セトレ神戸・舞子のこれまでとこれからを考えた」かな・・・と振り返りました

セトレ神戸・舞子は2005年に開業し、来春に20周年を迎えます

創業して初めてのホテル事業に乗り出し、大きなチャレンジ(リスク)を施したプロジェクトでもありました

後にも先にも、相対的にこれほど大きな決断をしたことはないかもしれません

今の自分が、あの時に戻ったことを想定した場合、決してGOサインは出さない、出したとしても少なくてももう少しうまくやれるのではないかと思います💦

しかし、あの時だからこそ決断出来た、ともいえるような、私にとっても会社にとっても大きな転換期だったのだと思います

あれから20年、月並みに山あり谷ありでしたが、あの決断が現在のホロ社の礎を築いたものであると断言して過言ではありません

一応、着実に続けてこれたわけですが、この場所は神戸市保有の土地に定期借地で20年という条件で借り受けていて、満了になるタミングでその更新のために公募という形が取られるのは周知のことでもありました、それが今年でした

予め分かっていたことですから、この5年前くらいからは、その後のこと、または、更新されない事態の想定、ないしはこれ以上続けていくことが是なのか・・・などをことあるごとに考えておりました

契約や条例のことですから、自分たちだけで考えてもどうにかなるものでもないので、それがヤキモキ、ヒリヒリする心地がずっと続いていました

そして今年、公募が行われ、引き続きホロ社が事業をしていくことになる運びになりました

こうなるための準備、対策は、それこそ私なりには完璧に行ってきました!

ホロ社以外になることは考えられない!ことを客観的に捉え、この企画でなければ神戸市ないしは周辺地域はダメになる・・・というところまで追い込んで?考え尽くしました

結果、優先交渉権を得ました

その期間がこれから30年

以前のレポートにも書きましたが、20年前の自分を振り返ると20年後のあり姿を構想することも想像することもできませんでした(というか、考えていませんでした)

もっと言えば、ホテル事業をスタートさせて業界におけるオンリーワン、それはすなわち「独自のホテル業態を築いたNO1」を追求していくことばかりを考えていたので足元はおぼついていなかったのかもしれません

しかし、今に至るまでの過程でリーマンショック、東日本大震災、そしてコロナなどの100年に一度の危機と言われるような事象が何度も(少なくとも20年で3回!)起きることで年齢(経験?)も重ねることで、おぼつき!もそこそこ身についたのか、なんとかやってきました

今年概ねこの1年を通じて、このセトレ舞子を継続させていくための手立て(つまり、公募対策)に大きなウエートをかけてきました

その中で考えてきたことは、「ホテルマネジメント」でなく「エリアマネジメント」でした

エリア(地域)の利便性、賑わい、活性化・・・というホテル(点)目線でなく、周辺エリアも含めて地域全体(面)目線の中でエリアに点在する点(ホテル等)を見ていく、

地域にとって貴重な資源である点(ホテル、公園、ビーチ、世界一の吊り橋など)を線でつなぐことで面的魅力を高めていく、当然、面の魅力が高まれば点が、より活きてくるという視点です

これまでは、セトレ(ホテル)だけがどうにかなればOK・・・みたいな目線だったように思います

これまでの20年はそれでよかったのかもしれません

実際先日、神戸市垂水区の地域活動をつなぐ会合に出ておりましたら、そこには老若男女70人程の参加者の中でなんと6組もの、セトレで挙式を挙げた方がいらっしゃいました

それ以外でもセトレの利用者が数多くおり、20年の重みをひしひしと感じました

とてもありがたいことだと思いました

誰も知らない名前の「セトレ」という名前を名付けてこの20年くらいで認知を得るようになった、そこに腐心奔走してきたこの期間は「セトレ」(点)だけに集中してきたことは、よかったのではないかとも思いました

尚更、そこで私達の「これから」を考える機会にしなくてはいけないと改めて感じました

必死にホテルの集客をしていくことに埋没!するだけでなく、その周辺地域の魅力を高めていくことを担っていくことで、点であるセトレの魅力はおのずと高まり、自然に集客は叶っていくという発想をしていくのが王道なのではないか

これからの30年を考える上では、目先の3年に固執する必要はありません

ホテルの建て替えも考えましたが、それはそれで30年では短い、なのであれば、30年先も褪せないスペック、コンテンツ、コンセプトを構想していくのが、今私が経営者としてやるべきことなのだと思っています

30年・・・と言えば、私が阪神大震災の時に縁あって神戸に住みだしたのが丁度今から30年前・・・

その頃、今の自分の姿をどこまで想像できたかというと「・・・・」しかありません

つまり、想像通りに未来が実現されることはないのだと思います

それでも、私がこの年齢になっても思うに「未来を構想する」「既に起こった未来の如く絵姿を描く」、そのような思考や行動はとても大切なことなのだと思うのです

20年前、現実が見えていませんでした、その反省から現実的な人種?になっていきました・・・しかし、今こそ非現実と言われようと先を見る、見通していく姿勢を持つことが私自身の役割なのではないかと思っています

ソフトバンクの孫正義氏の名言

「船で大海原に出るキャプテンはどこに向かうかを決める人ですが、導く道のない大海原で迷った時にこそ遠くを見よ、近くを見るから船酔いしてふらふら(ぶれる)するのです」と

迷った時ほど遠くを見る。夢を見る。理想を語る。妄想に耽る

まさにバックキャスティングでこれからを考える

20年前、セトレ神戸・舞子をスタートすることで、それからのホロ社から今のホロ社が築かれました、

そして再びセトレ神戸・舞子をリスタートしていく来年から、次世代のホロ社、

すなわち、ホロ社全体のステージをあげていく節目にしたいと思っています