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「論語が算盤」

幕末から明治維新にかけて活躍し来年、新10000円札の顔になるのが渋沢栄一

農家に生まれ、武士として幕臣として仕え、明治政府では官僚、その後実業界に転じ、500社に及ぶ企業をつくり経営者として生き「日本資本主義の父」と言われています

その渋沢栄一が今から100余年前に書いた「論語と算盤」はいまだに多くの人(主に経済人)に読まれる名著です

孔子が書いた「論語」とは道徳、「算盤」は利益・・・この「道徳と利益」と一見、相反する概念に合一説を説いたとされています

江戸時代の経世家、二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言」と説いたとされています

これは、経営をする際に、このバランスが大事だという理解をしていましたが、本をよく読んでみると少し違った見方が出来るようになりました

道理の伴った、つまり「正しい道、まっとうな生き方」をしていれば富も名声を求めてしかるべき

孔子の言葉には

「人間であるからには、誰でも富や地位のある生活を手に入れたいと思う、ただまっとうな生き方をして手に入れたものでないのであればしがみつくべきでない、逆に貧賊な生活は誰しも嫌うところだが、まっとうな生き方をして落ち込んだものならば無理に這い上がろうとしてはならない」

ここの重要ワードはこの「正しい道、まっとうな生き方」

これ、いわゆる「道徳と利潤」はトレードオフ(的)ではない、道理に沿っている態度、姿勢が主体であって、むしろ道徳こそ利潤を生むはずだ・・・という解釈が出来るように思うのです

18世紀後半に資本主義という概念が生まれ、日本ではそれを渋沢栄一が導入し100余年、その反対に社会主義、共産主義という概念があり、この30年くらいの間色々このイデオロギー(思想観念)の論争が未だ絶えません

平成時代に入って直後、ソビエト連邦の崩壊により共産主義が衰退しましたが、それ以降もしばらくして、リーマンショック、9.11のテロ、そして今、ウクライナ戦争が起きています

それは資本主義の弊害に起因した事象と言えるでしょう

また地球全体の気候変動、地殻変動などの環境問題は行き過ぎた資本主義から来る破壊、それに対する警告とも言われ、原発事故などの事態もそれに大いに関係するわけです

SDGsが全世界の共通認識になっていますが、企業活動においては、それはまだ「経済活動とは別物」

つまり、社会貢献活動的な位置づけに置かれ経済活動をするための「やらなくてはいけない」(免罪符)といった捉え方がされているように感じます

そこで「論語と算盤」という概念を思い出し、バランスよく捉えていこうみたいな風潮を感じるわけです

しかし、渋沢翁も孔子もバランスを取る話を書いているわけではありません

「道理、正しい道」を遵守することを説いています

それ、換言すると「道徳道理にブレないことが一番儲かる」ってことです

まさに「論語こそ算盤」ということです

わたしが社会人になった頃、約30年前バブル経済期の名残がある頃、大手企業を中心にCSRという概念が広がっていました、「Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)」は、バブルなどで行き過ぎた経済活動の一方で社会貢献活動に寄与していくということが企業の使命ということでCSR活動、またCSR室なる部署などを置く企業も増えました

しかし、これは営業部門や製造部門といったいわゆる企業の主力部門なのではなく、総務部門などの間接部門にぶら下がった位置づけのケースが多かったと思います

最近はCSRという概念は薄れCSV(Creative Shared Value)という概念を唱える企業が増えてきました。訳して「共有価値の創造」ないしは「社会共通価値」

社会貢献活動とは違って、あくまでも事業を通じた社会課題の解決

そして社会課題の解決が経済的な利益につながるという考え方が浸透していきそうな様相です

そもそもビジネスは、「課題解決業」であり、そのニーズが高ければ商売として成立し、ニーズがなければ廃れる・・・まさに社会課題解決こそビジネスの本質です

よりよい世界を目指す国際目標としてのSDGsを強く唱える企業も増え、それに伴いSDGsバッジをつけているビジネスマンも多くみられるようになり、その活動を組織的に行っていることが、社会的評価を高めるという認識が広がっています

しかし、よく考えてみると(見てみると)SDGs17項目に書かれていることは、例えば・・・

貧困をなくそう・飢餓をゼロに・全ての人に健康と福祉を・質の高い教育をみんなに・ジェンダー平等を実現しよう・安全な水とトイレを世界に、・・・などなど

これ17項目の目標があるわけですが、どれとっても、誰ひとりとも否定しようのない当たり前のものばかりです

つまり、これは「促進すること」でなく「そもそも守るべきこと」であり、導入することが善、なのでなく、導入出来ないと悪、つまり導入していない(出来ない)のは社会悪

厳しい言い回しをすれば、SDGsをないがしろにするのは「反社会勢力!」くらいの話ということです

もうそろそろするとSDGsバッジをつけている人は「私は普通の人です(やくざではありません!)」と伝えるだけの印になると思います・・・そんなことをアピールするバッジつける必要も理由もなくなるでしょう・・・

時代の潮目が随分変わってきたと思います

従来から、ビジョンや理念というのは会社にとって(というか働く社員にとって)大事なことでしたが、パーパス「なぜ(WHY)」(本質的目的)も明示していく必要が出てきました

それだけ、会社には存在意義をお客様からも、従業員、取引先からも、その地域からも、勿論株主からも、あらゆる関わる人達(ステイクホルダー)に対する責任が必要になってきているということなのだと思います

「〇〇のある社会」

ホロニックがこの〇〇に入る会社になるようになりたい

そのためには、社会に対して何をコミットして、なぜそうするのかを明示できるかどうかで存在意義が伝わり、私たちの値打ちを左右していくことになるのだと思います

セトレでは、ゼロPJTと称して、ゴミ箱を資源BOXとしたり、客室アメニティの常置きをやめたりしましたが、お客様の理解もあってクレームになることはありません

食材ロスをなくすためにコンポストを導入したり、お客様にもその啓蒙を起こしたりしていますが、それに対しても抵抗なく共感をいただくようになっています

これは少し以前であれば考えられなかった現象です

この思想、その実践がお客様などからの評価を得る、つまり「値打ちを上げる」ことにつながります

まさに、売上や利益、それはお客様からの投票行為、ないしは支持度の物差しですが、それに私たちの社会課題に向き合う姿勢が直結するようになります

まさに「論語が算盤」

益々その機運は高まってくるのだと確信します

ホロ社はそこをしっかり捉えていきたいと思っています